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全国の優良ジェットショップと経営者の歴史を紹介するコーナー「シーゲッツ」「代表・西本茂隆」氏 ジェットスキー(水上バイク)

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全国の優良ショップと、そのオーナーには「歴史」があります

最初にジェットを買ったショップが、その後のジェットライフを大きく変えてしまうといっても過言ではありません。でも、これからジェットスキー(以下、ジェット)を始めようと思っている人に、その見極めをしろというのは酷な話。だから、ジェットショップ選びは難しいのです。

今回、常にお客さんの立場で考え、「ジェットを買ってもらったら、ガソリン代以外は使わせたくない」と言い切る愛知県尾張旭市のジェットショップ「シーゲッツ」の西本茂隆代表に、こよなく愛するジェットに対する考え方を語ってもらいました。

全国各地、いろいろなジェットショップを見てきましたが、ジェットユーザーから長く愛されているお店には、愛され続ける理由があります。オーナーの考え方が、そのジェットショップの雰囲気、全てに影響しているのは間違いありません。

ジェットとの出会いはレースから

17歳くらいのとき「俺が求めていたものはコレだ」と思いました

レースがしたかったのに、知識がないから「お金と時間の遠回り」からの始まりでした

WJS 西本社長がジェットを始めたのは、おいくつのときですか?
西本 20歳前ごろですね。今、52歳なんで、約30年くらい前です。

WJS 始めたきっかけは何だったのですか?
西本 僕、昔からエンジンものが大好きで、ランドセルを背負って、毎日毎日、オートバイの本を脇に挟んで通って、授業中もそれを見ているような小学生でした。中学のときも、バイクに乗りたくて仕方なかった。免許を取ってバイクも早くから乗っていたし、大好きだったから、皆よりも乗るのがちょっとだけ上手だったんです。それと、子供ころからちょっとだけ水泳が上手だった。あるとき、バイクで内海に行ったら、お金持ちがジェットに乗っていたんです。「おー、007のジェットスキーだ!」って。それを見て、「水、大好きだし、オートバイ大好き! 俺が求めていたものはコレだ」って、17歳くらいのときに思いました。ジェットに乗ったら、負ける気がしないっていう感覚があったんです。

WJS それでジェットを始めたわけですね。
西本 はい。とにかく、レースがやりたかった。でも、僕が最初にジェットを買ったのはボートや船を販売しているようなショップで、どっちかっていうとジェットは片手間で扱っている感じでした。僕はカワサキのJS 550が欲しかったのですが、ちょうどヤマハから新しいジェットが発売されるっていう話があった。まわりから「マリン関係なら、やっぱりヤマハだろう」、「ヤマハからジェットが出たら、カワサキは終わるぞ」って言われて。結局、ヤマハから出るまで待って、ヤマハのジェットを買っちゃったんです。

WJS そのとき買った機種は何ですか?
西本 500T(1987年発売)っていう、座って乗るヤツです。僕はレースがやりたかったのに、当時は、ヤマハのジェットで出られるレースがなかった。こりゃダメだと思って、今度こそJS 550を買おうと思ったら、次は、カワサキからJS 650SX(1988年発売)が出るっていう。「排気量の大きいモデルが出るんなら、わざわざ小さいジェットを買うのはおかしい。主流は650になるに決まってる」ってショップで言われて、「いや、俺、JS 550がいいんだけど……」って言っても、「650を買っておかないと損だ」って勧められて買ったんですけど、やっぱりそれでレースに出ている人はいない……。やりたかったレースにたどり着くまでに、ずいぶんと遠回りしちゃいました。

WJS そのあと、ようやくJS 550を買って、念願のレースに出場できたわけですね?
西本 はい。遠回りしたわりに、レースを始めたら今度は奇跡の連発でした。当時、ゼッケン番号が4ケタになるくらい、ものすごくいっぱい人がいました。予選、本選、準々々決勝、準々決勝、準決勝、決勝って感じです。そこで奇跡が起きて、出場したレースの1戦目で優勝。2回目もまた奇跡が起こって、続けて勝っちゃった。練習では全然上手くないのに、レースになると、なぜか1番でゴールしちゃうんですよ(笑)。

シーゲッツオーナー、西本茂隆氏。


全員が1個のブイに向かってスタートし、水しぶきで何も見えなくなったところから、1台のマシンがホールショットで飛び出てくる。「あれぞ、男のロマン」です

WJS いろいろな人を見ていますが、確実にジェットに向いているっていう人はいます。西本社長も、そういうタイプなのだと思います。
西本 でもね、そのころ実は、ジェットじゃなくて、ラジコンのレースをメインでやっていたんです。7割がラジコンで、3割がジェットみたいな感じでした。ジェットのほうは、その年、ノービスチャンピオンになって、翌年はB級に昇格っていうときでも、ラジコンのレースばかりやってました。B級に昇格して、いろいろあってリミテッドクラスにJS 750SXで出ることになったんだけど、JS 750SXはドノーマル、JS 550はリミテッドだから、スタートでどうしてもホールショットが取れない。悔しかったけど、万年2位でした。そんな状況のなかで、練習中に足の骨を折っちゃって。気持ちは100%ラジコンのほうに行きますよね。

WJS それでも、プロクラスまで昇格したんですよね?
西本 そのとき、B級のランキングの上のほうにいたから、後半はレースに出なくても昇格できるポイントがありました。それと、富山の氷見で、1発勝負で優勝した選手がプロクラスの入れ替え戦に出られるっていうレースがあったんです。そこで運よく優勝して、プロの入れ替え戦に出られる権利が取れました。予選も通るわけがないって思ってたら、ヒート1が3位、ヒート2も3位でゴールしちゃって、今でいうプロクラス、当時はA級っていっていましたが、上がれちゃったわけです。たまたま運よく上がれたっていう感じです。

WJS でも、運だけで最高峰クラスまで上がれませんよ。
西本 いやいや、木曽川で練習していても、僕より上手い人間はたくさんいるんですよ。B級の人たちのほうが練習しているし、あきらかに上手い。競争すると、俺、負けちゃうもん。

WJS そこまで頑張っていたのに、どうしてレースをやめてしまったのですか?
西本 昔、モディファイクラスはエンジンが直管だったんですよ。スタートのときにエンジンをかけて、パーンパーンパーンって水を抜く。一斉にスタートしたら、オイルのニオイがふわーっと残る。全員が1個のブイに向かって、水しぶきで何も見えなくなったところから、1台のマシンがホールショットで飛び出てくる。「あれぞ、男のロマン」だと、僕は思ってやってきたんです。
それが、直管が禁止になって、サイレンサーが義務付けられて、音が小さくなった。F1でもサーキットでも、音も含めてレースなのに、サイレンサーが義務づけられたことで、一気にレースに対する情熱が冷めてしまった。
次に、コースがアウトとインの2本になって、第1ブイが2つになったとき、完全にレースに興味がなくなったんです。
安全面からすれば、コースが2本のほうがいいかもしれない。だけど、チョイスもなく、命がけで1個のブイを狙って20台くらいのジェットがホールショットを取りにいく。それを見て、僕は「コレだ」と思ったわけですからね。もちろん、普通に乗るのなら、静かで速いほうが格好いいと思いますよ。

シーゲッツオーナー、西本茂隆氏。


地元に帰ってきたとき、先輩たちにジェットに連れて行ってもらったら、ビキニのオネーちゃんだらけ。「俺は10年間、何をやっていたんだろう」って。

WJS それでレースをやめてしまったわけですね? 「シーゲッツ」というショップは、いつ始められたのですか?
西本 1998年です。ショップを始めてもう22年になります。

WJS お店には、最新モデルがズラッと並んでいます。これほど多くのニューモデルが展示されているのは、ボートショーくらいでしか見ないです。
西本 ありがとうございます。開店当時はこんな場所じゃなく、もっと倉庫みたいなところだったんです。そのころから、店はボロいけどラインナップは揃っている。「ジェットを全部見たかったらシーゲッツへ行け」っていう雰囲気は、ずっと作り続けています。お客さんには、カタログではなく現物を見て買っていただきたいですから。

WJS 西本さんが、ジェットショップを始めたきっかけは何だったのですか?
西本 当時、三重のジェットショップで働いていたんですが、最初は自分でジェットショップをするつもりはなかったんです。僕の地元は隣の瀬戸市ですけど、ずっと地元に帰りたかった。でも、帰って何をやろうかって思ったとき、若い頃、トラックに乗っていたから、大型ダンプ3台くらい買って、ダンプ屋のオヤジでもやろうかなって、漠然と考えていました。

WJS 最初からジェットショップをするつもりではなかったんですか?
西本 はい。三重のショップで見ていて、儲からないのが分かっていましたから。

WJS それがどうして尾張旭市でショップをやることになったのですか?
西本 僕、ずっと地元に帰りたいって社長に言っていたんですけど、その気持ちがピークに来たとき、「お前、やめたい、やめたいって言うけれど、やめて何をやるのか、今すぐここで言ってみろ」って怒られたんです。そのときに、ダンプ屋ともいえないし、ラジコン屋ともいえない。困ったなって思って、「ジェット屋」としか言えなかった。そうしたら、「よし分かった。お前、ジェット屋って言ったな。今から辞めさせてやる。頑張ってやってみろ」って言われて、それでジェットショップをやる決心をしました。それが29歳のときです。

WJS それでこの場所でショップを始めることになって、開店当時はいかがでしたか? いろいろとご苦労があったのではないですか?
西本 僕の中で、若いころから寝ないで働くことが普通だったんです。学校を出てから仕事ばっかりしていて、ほとんど地元の友達とも遊んでいなかった。夜11時、12時すぎに仕事から帰ってきて、翌朝からまた仕事でしょ。ジェットのレースを始めたら、ガソリンを買いたいし、改造もしたい。飲みに行くお金があったらジェットに乗りたかった。それにも関わらず、「西本が帰って来てジェット屋やるらしい。買ってやろうぜ」って、地元の友達が言ってくれたんです。右を向いても左を向いても、瀬戸中のダンプにシーゲッツのステッカーを貼って走ってくれた。最初の3年間くらいで、無名の会社に基盤をつけて、外へ出ていけるくらいまで育ててくれたのは地元の友達のおかげです。それがなかったら、シーゲッツは確実にありませんでした。本当に、友達に助けてもらって、商売がやれていると思います。

WJS レーサーだった方がショップを始めると、どうしてもレースショップになりがちですが、西本社長のお店は、そういう雰囲気が全くないですよね。
西本 「初心者大歓迎」っていうのが、オープンしたときからのウチのウリです。店を始めたころの広告も、店名より「初心者大歓迎」っていうのを大きく打ち出して、レーサーは来るなっていう雰囲気を出していたくらいです。初めてジェットをやるお客さんがお店に来たときに、「俺はレーサーだ」みたいな常連がいたら、嫌になって帰っちゃうでしょ。だから徹底して「初心者大歓迎、レースお断り」で始めました。

WJS レジャーユーザーの立場に立ったお店作りということですね。
西本 はい。あるとき、地元に帰ってきたら、先輩たちにジェットに連れて行っていただいたことがありました。そしたら、ビキニのオネーちゃんだらけで、バーベキューをブワーっとやっていて、みんなメチャクチャ楽しそうだった。それがショックで、「俺は10年間、何をやっていたんだろう」って。みんな、こんな楽しいことやっていたんだって思うと、「今までの10年、返せよ」。10代後半からジェットやってて、30歳近くなった今、俺、手遅れっぽいじゃん、って(笑)。

WJS ずっとブイばっかり回っていましたもんね。
西本 みんな、こんなに楽しい遊びをしているんだって、そのときに初めて知りましたよ。

当時流行った蛍光色の色鮮やかなウェットスーツ(左上)。みんな欲しかったが入手困難で、自分に合ったサイズを探すのに苦労した時代だった。


人に歴史あり、店にも歴史があります。次は、シーゲッツというお店を立ち上げてからの物語です。

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