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ジェットスキーヤーが気になる車「古いフェラーリ」

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「古い」ものが好きなわけではありません!

「ジェットスキーヤーが気になる車」と題しての特集です。タイトルからして、「ジェットスキーを牽引できない車など、なぜ取り上げるのか?」といわれそうですが、あえて編集部が心を惹かれる車を取り上げています。絵画、骨董品、ヴィンテージジーンズ、切手など、愛好家の多い趣味のものには明確な鑑定基準があり、それに基づいて金額まで算定されています。

ここでは、そのような一般的な価値観ではなく、ただ純粋に「ステキだな」と編集部が感じたものをチョイスしていきます。「ステキだ」と感じることにも理由があるのです。

今回の「古いフェラーリ」という題材は、「ヴィンテージカー」という、明確な価値基準のあるジャンルに属しますが、編集部独自の目線で紹介しています。例えば、「人に自慢するためではない。オーナーが悲しいくらいホレ込んで大事にしている」。このような理由で所有している人には、非常に好感が持てます。ジェットスキーを大事にしている人を見たら、気分が良いと思いませんか?

車で女の子にモテようと思うのは、若者の特権。オッサンが、そんなヨコシマな考えで車を買うのは、嘆かわしいとすら感じます。ちなみにこの車のオーナーは、女の子を乗せるのを嫌がります。「パンプスでボディに傷をつける」「革のシートも傷つける」などなど。できるだけ車をいたわるために、エアコンやワイパーなどの電子機器を使うことを極力避けているのに、ことごとく文句を言う「オネーちゃん」という生き物を、天敵のように思っているのです。


私のスーパーカーの原点は「タイガーマスクの車」

最近、私の友人たちがこぞって古い車を購入している。我々の年代(1960年代生まれ)は、「スーパーカー世代」と呼ばれ、目の前に突然現れた、ランボルギーニやロータス・ヨーロッパに心を奪われました。

私が初めて自動車に興味を抱いたのは、まだ半ズボンを穿いていた幼少のころ。テレビで夢中になった、タイガーマスクこと、伊達直人が乗っていた車です。悪役レスラーとの、命がけの死闘で得たファイトマネーで買ったプレゼントを、「ちびっこハウス」という孤児院に届けるシーンで必ず登場した、あの車高の低いスポーツカー。普段の生活では、絶対に見ることのない「素敵なクルマ」に、本当に憧れました。

あの車には、自分の力で大切な者たちに幸せを与え、かつ、成功を収めていながら、「生きている証」のような意味合いもあったのだと思います。命がけで、精一杯、もがき苦しみながら生きているのが、タイガーマスクの真の姿なのです。

アニメのタイガーマスクは、昭和44年10月~46年9月まで、全105話放映されました。あのスポーツカーは「ジャガー・ピラーナ」とされており、「実在しない車である」と、原作者が何かで書いていたのを覚えています。しかし、1967年(昭和42年)、当時、ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニがデザインしたコンセプトモデルの「ジャガー・ピラーナ」という車が、ロンドンのショーに出品されています。

この車は、1968年に発売を開始した「ランボルギーニ・エスパーダ」と瓜ふたつでした。ランボルギーニ・エスパーダのデザインも、マルチェロ・ガンディーニが手がけているから。この2台は、エンブレム以外の違いを見つけるのが難しいほど似ています。だから、今でもタイガーマスクの愛車は、「ランボルギーニ・エスパーダ」だと思っている人は多いはず。かくいう、私もそうでした。

コンセプトカーだから、厳密には存在しないと言ったのかは分かりませんが、「ジャガー・ピラーナ」というスーパーカーが、原作者の梶原一騎氏に影響を与えたことは間違いないと思います。あの車は、子供だった私に強烈なインパクトを与え、それ以来、車高が低い、いわゆるスーパーカーを見るたびに、「タイガーマスクのクルマ?」と思っている自分がいます。

昭和30年代に生まれた我々の世代は、特撮やアニメのヒーローものが全盛でした。仮面ライダーやキカイダー、ガッチャマンなど、正義のヒーローは、皆、格好いい車やバイクに乗っていました。柔道がテーマのはずの「紅三四郎」というアニメに至っては、なぜか毎回、主人公が敵と戦う前に「紅号」というバイクの上で、高く空中に投げた赤い道着を鮮やかに身に着け、黒帯を締めてポーズをキメるのがお決まりのシーンでした。あの時代、正義のヒーローには、車やバイクがなくてはならないモノだったのです。

振り返ってみれば、自分のスーパーカーの原点は、間違いなくタイガーマスク、伊達直人のクルマです。




スーパーカーからマニュアルがなくなった日

この「フェラーリ348 スパイダー」がデビューしたのは1993年。その翌年の1994年以降、フェラーリは、「マニュアルシフト」か「セミオートマチック」かの選択ができるようになりました。そして2009年、最後のチョイスモデル、「フェラーリ430」の販売を終了して以降、マニュアルシフトを装着したフェラーリは販売されなくなりました。これについて、フェラーリから「同じエンジン、同じ足まわりでサーキットを走れば、マニュアルとパドルシフトでは、ラップタイムに大きな差が生じる。この事実は、フェラーリにとって耐えがたい屈辱だ」といったコメントが発表されました。

フェラーリのようなスーパースポーツカーを操るには、人間のスキルが必要なマニュアル車よりも、コンピュータ制御の自動操作のほうが、圧倒的にパフォーマンスが上がるということです。

自動車レースの最高峰であるF1で、パドルシフトのセミオートマが、初めて採用されたのが1989年。その圧倒的な性能に、世界中が驚いきました。それ以降、さまざまな改良が施されはじめ、たった数年で、F1からマニュアル車が消滅したのです。F1から始まった、コンピュータ制御のオートマチックの技術は、必然的に市販のスーパースポーツカーにも反映されていきました。そして、F1同様、市販モデルからもマニュアル車が消滅していきました。現在販売されている新車で、マニュアルで乗れるスーパースポーツカーは、皆無になりました。

我が国の代表的なスーパースポーツカー、日産GTRでさえ、マニュアル車の仕様はありません。2007年、スカイラインの名前を外した「R35 GTR」が発表されて以来、一貫してセミオートマしか発売されていません。「GTRに必要なのは、圧倒的なスピード」と、日産はいいます。操作効率を考えると、コンピュータ制御のオートマには敵わないし、その差はどんどん開いていくだろう、ということなのです。



悲しいお知らせ

いきなり、マニュアルシフトとセミオートマ車の話から入って恐縮だが、この「フェラーリ348 スパイダー」のオーナーである私の友人は、こういった時代の流れに逆行して、「この車が、マニュアルシフトである」ことに胸を張ります。彼の車は1993年製ですが、翌年の1994年から販売を開始したセミオートマのフェラーリは、現在の中古車市場で値段が暴落しています。理由は、当時のコンピュータ制御ユニット関係のパーツが、もう世の中に存在せず、入手困難だから。

現代の自動車は、全体をコンピュータで管理しています。テスラなどは、「車ではなくパソコンだ」という人もいるくらいです。車のパーツなら、いくらでも、いつまでも入手できる。しかし、コンピュータの部品は、型落ちになったらすぐに廃棄されます。修理に必要なパーツが、世の中からなくなってしまうのです。

クラシックカーをみれば分かるように、1990年代前半までに製造された自動車なら、未来永劫とまではいわないけれど、かなり長い期間、乗り続けることができます。車自体に、コンピュータ制御の割合が少ないからです。たとえ制御されていても、単純な仕組みなので、その部分のみ制御を外してしまえばいい。その機能は使えなくなっても、車は問題なく走ってくれます。

しかし、1990年代中盤以降に販売された車は、制御部品が1つでもなければ、全体が誤作動を起こす。たった1つのパーツがないために、車がまともに走れなくなるケースも出てきます。さらに、コンピュータ制御関連は短期間で製造中止になるパーツが多く、改良されるたびに、確実に部品がなくなっていきます。メーカーに発注しても、「現在、そのパーツは販売しておりません」と言われるのがオチなのです。



「クルマ」の進化って何?

私の友人は、「マニュアル車」という事実に胸を張ります。彼の1993年製フェラーリ348 スパイダーの「屋根の幌」は、手動で開け閉めするタイプですが、翌1994年からは電動オープンになりました。今から、約25年前の車なので、電動オープンが壊れやすいのは理解できます。かといって、必要なモーターをフェラーリの本社に発注しても、当然のように「現在は、販売も製造も中止しております」と言われます。「俺のは、モーターがないから、いつまでも安心だ」と、汗をかきかき、自慢を垂れ流しながら、彼は屋根の開け閉めをしています。

友人が、いつも私に話してくれる車の説明が面白いので、ここで紹介します。ポルシェを例に、彼は「車の進化」を疑問視しているのです。911ポルシェがデビューしたのは1963年。当時は「空冷式」でした。それが、1994年以降のポルシェから、全て「水冷式」に変更されたのです。しかし、今でも1994年以前の「空冷ポルシェ」のほうが、高い人気を誇っています。

年式も走行性能も、当然「水冷ポルシェ」のほうが優れています。なのに、中古相場では「空冷ポルシェ」のほうが、取引価格が高いことが多々あります。1964年~1997年までに生産された「空冷911」といわれる車種のなかには、新車当時と同じか、それ以上の価格で取引されているものもあります。

一方で、現在も生産されている「水冷ポルシェ」の場合、2000年モデルだと、250万円以下で探すことも可能だといいます。ちなみに、同じ年の水冷モデルでも、マニュアル・トランスミッションだと、そこから100万円ほど高くなります。これにはいろいろな理由があると思いますが、私の友人の答えは簡潔です。「パーツが、あるかないかの違い」。空冷ポルシェが販売されていたのは1993年以前で、コンピュータ部品はそれほど組み込まれていません。だから現在も部品の入手が可能で、ずっと走らせられるからだと彼は言いました。

こんな話を聞くと、技術革新やイノベーションという「現代の流行り文句」に確認事項を付け加えたくなります。「そのパーツは、ずっと買えるのか?」。困った時代がやってきました。


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