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わずか20秒を競うためにアメリカへ スラロームの魅力に取り付かれた男・関 泰光選手インタビュー S-1 ジェットスキー(水上バイク)

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スラローム競技には、人生を懸けさせる“魔物”がいる

1回の走行時間はわずか20秒。「クレイジー」と言われてもアメリカで走りたかった

2017年にアメリカ、アリゾナ州のレイクハバスで行われたワールドファイナルの「Ski Modified Slalom」で世界チャンピオンを獲得したのが「関 泰光」氏である。
関氏は、2019年までヤマハの主催で開催されていたスラローム大会「S-1スラロームグランプリ」の全国大会で、スポーツクラス、スキークラス合わせて8度も日本一に輝いている、押しも押されもせぬ「Mr.S-1スラローマー」である。

世界大会のなかでも、この「スラローム」というカテゴリーは、特殊な位置づけにある。スラローム競技は、GPクラスのポイントに加算されるなど、勝敗を左右する重要なカテゴリーではあるが、単独の競技としては「おまけ」的なものだと思っている選手が大半だ。
だから、関氏らが「世界最速のスラローマー」の称号を求め、わずか20秒足らずのタイムを競うためだけに、はるばる日本から渡米したと聞いたアメリカ人は、「意味が分からない」「もったいない」「他のレースにも出るべきだ」などと、口ぐちに言ったという。

正直、私も他のアメリカ人と同じように「クレイジー」だと思っていた。アメリカまで自分のマシンを輸送して、約20秒のコースを2回走るためだけに、結構な費用をかけてアメリカに行くなんて……。
ワールドファイナルへ参戦した理由を聞くと、関氏からとてつもなく熱い「スラローム競技」への思いが語られた。

これは、スラロームの魅力に取り憑かれ、がんじがらめに縛り付けられ、もがき苦しんだ1人の選手の話である。

「S-1スラロームグランプリ」の全国大会で、スポーツクラス、スキークラス合わせて8度も日本一に輝いている、押しも押されもせぬ「Mr.S-1スラローマー」関 泰光氏。2017年、レイクハバスにて。

スラローム競技で世界の頂点に立った・関 泰光選手インタビュー

スキークラスの世界チャンピオン、ジェレミー・ポレットは、スラロームも速かった

WJS 関さんは、国内のS-1スラローム大会では、スポーツクラス無敵のチャンピオン、スキークラスでも3回タイトルを獲得し、2017年のワールドファイナルの「スキー・モディファイ・スラローム」クラスで見事に優勝されました。名実ともに、世界のトップスラローマーですね。
 まあ、とりあえずそうですね。でも、現実的には(ジェレミー・)ポレット選手にやられているんで……。

WJS IJSBA(ワールドファイナルの主催団体)の発表では、関さんは何秒だったのですか?
 27秒いくつかですね。僕の計測では26秒7いくつかですけど。

WJS ちなみに、ポレット選手は何秒だったのですか?
 僕の計測では25秒でした。1秒ちょっと速いです。

WJS 結果的にポレット選手は、エントリーに不備があって失格でした。でも、彼は速かったですよね。彼がこの大会のプロスキーチャンピオンに輝きました。その世界最強マシンで叩き出したタイムですよ。
 パワーもあるし上手です。やっぱり上手いですね。でもスラローム、タイムが負ければ悔しいんです。


この大会のプロスキークラスで3年連続世界チャンピオンに輝いたジェレミー・ポレット選手


日本からスラローム用のブイを持って行き、ハバスでコースを作ってずっと走っていました

WJS スラローム競技に出場するため、わざわざアメリカまで行こうと思ったのですか?
 漠然と「行きたい」っていう思いはあったんですけど、それこそワールドファイナルは、「夢の湖で行われる夢の大会」っていうイメージがあって、実際に自分が行けるとは思っていなかった。
一番の問題は、マシンを運ぶ手段ですけど、それを生駒(淳)プロがやってくれるのを知って、「行きたいな」っていう思いがどんどんどんどん膨らんで。
本当は、2016年に行こうと思って問い合わせたら「スラローム競技をやらない」という返答がIJSBAから来て諦めました。でも、実際はやっていたんです。それで、「もう、絶対来年は行こう」って決めました。この遊びをしている以上、一度はハバスって走ってみたいじゃないですか。やっぱり足が動くうちにね。

WJS 右足が悪いと伺ったのですが?
 中学1年のときにバイクに轢かれて、大腿骨が潰れて半年入院して。今も、右足1本では体を支えられません。よく、ハンデって言われますけども、ハンデではなく個性。五体満足だったら、僕ではないと思ってます。

WJS 関さんがジェットで走っている姿には、不自由さは全く感じないです。
 実は、足が悪いせいでデッキの上で足の入れ替えができないんです。右足を前にすると体をひねれない。でも、あの狭いスラロームコースを走るのには、足を入れ替えるよりも確かにいいのかなっていう気はしますね。

WJS ハバスに行ってからは、どんな練習をしていたのですか?
 ボディビーチで、ブイを張って走ってました。(※編集部注:ボディビーチはレイクハバスにあるビーチ。ワールドファイナル出場者が、ここで練習やセッティングをしている)

WJS わざわざスラローム専用のブイを持って行ったのですか?
 ジェットの輸送をお願いした生駒プロに、「長い間ハバスに行ってるけど、ブイを持ってきた人は初めてだ」って言われました。やっぱり、ちゃんとしたコースがないとダメです。練習になりません。

WJS 実際にハバスに行って、苦労されたことはありますか?
 エンジンのセッティングです。ハバスと日本では標高も違うし、気候も違う。ガソリンも、どれを使ったらいいか分からない。91と、ワンオースリーと、ワンオーナインと、いろいろガソリンを買って試して、「これでいこう」ってなるまでに、丸々3日かかりました。

WJS 結局、ガソリンは何にしたのですか?
 ワンオースリーです。圧縮を12・4キロくらいに設定して。最初、コースが大きいって聞いていたから、もっとパワーを出さないといけないと思っていたんです。

WJS コースの大きさによってセッティングも違うのですか?
 違います。狭いと、あんまりパワーがあると扱いきれないです。扱いきれないパワーなら、ないほうがいい。インペラーも換えて、圧縮もそんなに上げないようにして、乗りやすい方向にしました。でも、ポレット選手に行かれちゃったんで、もうちょっと欲張っといたほうがよかったのかなっていう思いはありますね。

WJS コースは、日本と同じですか?
 多分、ヤマハのS-1グランプリと縦の長さは一緒です。ただ、幅がものすごく振ってあった。スラロームというよりは、Uターンの連続のようなコース。ヤマハのS-1は、あんなにキツいコースは張らないですね。


縦の長さは、ヤマハのS-1グランプリと一緒。しかし、幅がものすごくあってスラロームというよりは、Uターンの連続のようなコースだった。


27歳までバイクのレースをしていたけれど、2輪のレースってすごくお金がかかるんです

WJS 関さんが最初にジェットに乗ったのはいつですか?
 1992年です。利根川を渡る古河大橋っていう橋があるんですけど、仕事でそこを通っていたら、眼下を気持ちよさそうに走っている乗り物があった。当時は、「ジェットスキー」っていうのを全然知らなくて、友達に「今日、こうこうこんな白い乗り物があったんだけど、あれ何?」って聞いたら、「ジェットスキーってやつだよ」って教えてもらって。

WJS ジェットを始める前は、何か別のスポーツをしていたのですか?
 それまでは、鈴鹿で2輪のレースをしていました。でも、これ以上自分に投資しても、どうにもならないって思ってやめたのが1991年です。

WJS バイクはいつから乗っていたのですか?
 高校がバイク禁止だったけど、隠れてこそこそっと取って(笑)。ハタチでサーキットを走りだして、レースは翌年からエントリーしました。F3クラスを1年やって、次に市販レーサーという、ホンダだったらRSとか、ヤマハならTZっていう、レース専用車両を使ったクラスです。

WJS バイクは、何歳までやっていたのですか?
 27歳までです。2輪のレースって、むちゃくちゃお金がかかるんですよ。当時の監督が、「金を借りるな。必要なものはツケにしてやる」って、チームに借金するだけですんだんですけど、一番増えたとき800万円くらいになって……。これ以上になったら、もう返せなくなっちゃうってやめたようなものです。

WJS 本当は、もっと続けたかったのですか?
 やりたかったですね。2輪をやめて寂しくなって、「何かエンジンがついている乗り物に乗りたいな」って思ってたところで、ジェットが走ってるのを見たんです。住んでいるところの近くにバスボートを売っているショップがあって、そこでカワサキのJS 550も一緒に売っていました。「ああ、これこれ」って、550のC1を新艇で買いました。バスフィッシングをするのに、当時でいう4級小型船舶免許を持っていましたから、改めて免許を取る必要もありませんでしたから。


27歳までは2輪のレースに夢中だった


550は全然立てなくて、「これ、返品できないかな」って思いました

WJS 550は、買ってすぐに乗れましたか?
 全く立てなかった。立てるようになるまでに利根大堰に3回も行きました。1日乗って立てなかったときは、「ちょっと難しい、俺には無理だ」って、「返品できないかな」って思ったくらいです。あとから思い起こしてみると、3回とも水面に白波が立ってました(笑)。「波があるから乗りにくい乗り物」っていう認識すらなかったんです。

WJS 最初は、全然乗れなかったのですか?
 朝から晩まで立てなかった。転んで、水をガボガボ飲んで。転ぶときになぜか口を開けてるんですよ。今は転んでも水なんて飲まないんですけど、毎回2リットルくらい飲んでましたね。

WJS どれくらいで立てるようになったのですか?
 4回目に行ったときにやっと立てて、そこからは普通に立てるようになりました。それで、何回か乗ったあとに嫁さんを連れて行って、「これ、難しいんだぜ」って乗らせたら、あいつ、1本目からすっと立ってビューッと走って帰ってきて……。「簡単じゃん」って言われて。あれには参りましたね。

WJS それはショックですよね。
 ヘコみました。でも、今思えば、あの日の水面はベタベタでした(笑)。

WJS 利根大堰といえば、関東のレーサーのメッカですが、彼らと一緒に乗ることはなかったのですか?
 そこで降ろす気になれなかったのか、降ろせなかったのかちょっと覚えていないんですが、少し外れたところで乗ってました。当時、あの人たちは、ものすごく上手な怖い人たちっていうイメージだったので。

WJS 別世界の人だったわけですね?
 はい。同じところでは乗れないなって。皆、殺気立ってましたし、雲の上の存在でしたよね。自分は初心者だし立てないし(笑)。端っこのほうでやってました。

WJS そのころは1人で乗っていたのですか?
 そうです。半年くらいしたときに、550を買ったお店で、「こういうグループがいるんだけど、そこに混ざったら?」って紹介されて、1人じゃいろいろと大変だったので、「お願いします」って入れてもらいました。
そのグループのリーダーが、「ただ走っていても面白くないから、ブイを浮かべてコースを作ろうと思う。みんなでいくらかずつ出し合って買わない?」って。僕も2輪のときにはサーキットを走っていて、コースは欲しいと思っていたから、「僕も混ぜてください」って。そこから毎週、クローズドコースを走っていましたね。

WJS 関さんたちのチームは、レースに出ていたのですか?
 ブイまわりだけの、完全にレジャーレーサーです。


関選手の思い。ワールドファイナルは、「夢の湖で行われる夢の大会」だった


あのとき、レーサーの人と一緒にブイをまわったら、違うジェット人生を送っていたかもしれません

WJS そのころは毎週乗っていたのですか?
 毎週日曜日に乗っていました。

WJS レースには出ていなかったのですか?
 本当は550でJJSBA(カワサキ艇のみ出場できるレース)に出たかったんですけど、それには公認チームに入らなきゃいけなかった。それでなかなか踏み出せなくて。

WJS ジェットを始めたころは怖いと思っていた「上手で怖いプロレーサー」の方たちとは一緒に走らなかったのですか?
 それは思っていましたけど、レベルが違い過ぎるから諦めてました。一度、レーサーの人たちがブイを張って練習している場所とは知らないで、僕らのグループがブイを張っちゃったことがあるんです。そうしたら、「僕らもここにブイを張りたいんだけど、よかったら大きく繋げませんか?」って言われたことがあります。
僕は、あの人たちと一緒に走るのがものすごく憧れだったんでウハウハだったんですけど、他のメンバーが、「いや、あの人たちとは一緒に走れない」って、泣く泣くブイを引き上げたことがありました。あそこで一緒に走っていたら、もしかしたら、違うジェット人生を送っていたかもしれないです。あれは失敗しましたね。

WJS 関さんと言えば、スポーツクラスのマシンに乗っているイメージがありますが、いつ550からヤマハの700TZに乗り換えたのですか?
 世の中がランナバウトになってきて、全然勝負にならない。そんなころにヤマハから700TZが発表になって、仲間が新艇で買ったのを乗らせてもらったんです。すごく乗り味がバイクと似ていた。「これ、欲しいな」と思ったんだけど2年くらい我慢して、知り合いから安く譲ってもらいました。デッキマットも剥がれててボロボロだったんですけど、それくらいなら自分で直せるんで。

WJS それはいつごろですか?
 1998年くらいだと思います。

WJS それからすぐにS-1スラローム大会に出始めたのですか?
 いや、出始めたのは2002年からです。

WJS 1998年に700TZを買って、S-1に出るまでの4年間は何をしていたのですか?
 ランナバウトと一緒に、クローズドコースを走っていました。


S-1スラローム大会に出始めたのは2002年から。スラロームの魅力に取り憑かれ、がんじがらめに縛り付けられ、もがき苦しんだ人生が始まった。


スポーツクラスのリザルトに、いつも「山本二郎(イーストロック)」という名前があって、「ああ、この人と勝負したい」

WJS 2002年に、S-1に出るきっかけは何だったのですか?
 それまで、ちゃんとしたジェットショップで買ってないものですから、修理しようにも部品が手に入らない。ヤマハの部品が欲しかったので、メーカーの配送に直接買いに行ってたんです。でも、何回か行ってるうちに、「申し訳ないんですけど、ショップを通してください」って断られてしまった。
どこにショップがあるのかも全然分からなくて、そこで紹介されたショップのひとつが「エニシ」でした。利根大堰でブイを張ってTZで遊んでいる僕を見て、エニシの平田店長が「ヤマハでこういうスラロームのレースがあるんだけど、出てみませんか?」って言われたのがきっかけです。

WJS スラロームを始めたころは、目標の選手はいたのですか?
 あの当時のS-1のスポーツクラスは、山本二郎さんが全盛のころでしたね。700TZで連勝していた。昔のワールドジェットスポーツマガジンを見ると、スポーツクラスにいつも「山本二郎(イーストロック)」っていう名前があって、「ああ、この人と勝負したい」って思っていました。

WJS それで2002年に初めてS-1に出たのですね?
 はい。北総マリンで行われた関東シリーズ最終戦がデビュー戦で、そのときは700TZで2位でした。1位は800TZに乗っていた平野(秀光)さんっていう人でした。

WJS ずっと広いクローズドコースを走っていた人が、S-1の小さいコースを走るのは大変ではなかったのですか?
 クローズドコースは、パーンと走ってスパーンと曲がって気持ちいいです。それに引き換えスラロームって、まず上手く走れない。悔しいじゃないですか。「どういうふうに走ったらいいのかな」って考えているうちに、クローズドコースを走っている時間より、スラロームコースを走っている時間のほうが長くなっていた。
仲間は相変わらずクローズドコースをまわってるんですけど、僕はそのちょっと離れたところに、小さいブイでスラロームを張って、別に練習をしていましたね。

WJS そのころ、関さんは700TZでしたが、平野さんと同じ800TZに乗ろうとは思わなかったのですか?
 前に800TZに乗ったことがあったんですけど、全然小回りが利かなかった。これだったら絶対700TZのほうが速いって思っていました。でも、平野さんが800TZのスポンソンを換えてきて、クルンクルン曲がるようになっていたんです。800TZが、あんなに小回りが利くようになるとは思いませんでしたね。

WJS それで火が付いたのですね?
 はい。「あの人を抜きたい」になって、700TZにスポンソンを付けたり、試行錯誤しているうちに800TZに勝てるようになりました。


2002年当時、スポーツクラスにいつも「山本二郎(イーストロック)」っていう名前があって、「ああ、この人と勝負したい」って思っていました。


コンマ1秒速くするために、何日も試行錯誤します

WJS 2004年に第1回S-1全国大会のスポーツクラスで関さんが勝ってから2008年まで、無敵の5連覇。マシンは途中から800TZになりましたが、いつから乗り換えたのですか?
 2004年に700TZでチャンピオンを取ったのですが、次の年は「もう800TZじゃないと勝てない」って思ったんで、中古の800TZを探して買いました。でも、市販のスポンソンはデカすぎる。自分で付けたいところにつけられるように、台座もスポンソンも自作しました。

WJS スポンソンがここにあったらいいとか、この大きさがいいということが分かるのですか?
 そうですね。大きさと取り付け位置で変わるっていうのは、700TZのころに感じていましたから。それ以来、市販のパーツって買ってないです。売っているのを付けたら、皆と一緒じゃないですか。

WJS 以前、全国大会で関さんの走りを見たときに、2位とのタイム差があまりにあって驚いたことがあります。どうしてあんなに速く走れるのですか?
 練習もしましたし、スポンソンの形も5mm単位で考えました。普段の練習でも、「ただゲレンデに行く」っていうことが、ただの1度もなかった。次に行ったらこれをテストしてみようとか、こういうタイミングでターンしてみようとか、テーマがないときは、逆に行きませんでしたね。ただ漠然と乗るのは意味がないですから。今もそうです。テーマが見つからなかったら乗りません。整備したりしています。

WJS ミリ単位でマシンを煮詰めていったのですね?
 1mm、コンマ1秒単位ですよね。コンマ1秒速くするために、何日も試行錯誤していました。パーツのテストをするときは、「今週はコレ、来週はコレ」ではなく、いくつも用意して、その場でパパパッと換えていく。
それこそ、水も飲まず、休憩もせず、水面環境が変わらないうちにテストします。じゃないと比較ができない。そこはこだわっていましたね。


一緒に戦ったS-1戦士3人組。左から2017年スラローム世界チャンピオン 関泰光氏、2位の知久健一氏、谷瀬哲太氏。


ストップウォッチをTZのハンドルバーに付けて、自分でボタンを押して計っていました

WJS タイムはどうやって測っていたのですか? TZにそういう機能はないですよね?
 ストップウォッチを、ハンドルバーに付けていました。あれがないとデータが取れません。スタート&ゴールの4点ブイを越えるときに、自分でストップウォッチのボタンを押すんです。S-1を始めたころは、スラロームの仲間がいなかったから、自分で全部やってました。大会のときは測ってくれるから必要ないですけど、でも押さないと気持ち良く入れないので、レースのときにも押してます。

WJS やっぱり、計測しないとダメですか?
 ダメですね。例えば、でっかいスポンソンを付けてガッツーンって曲がると、「おおー! タイム出たー!」って思うけど、実際にストップウォッチを見るとダメなんです。臨場感があるだけで、決して速くはない。

WJS 気持ちよく走れても、ガッカリすることもあるのですね?
 そう。逆に、「あれ? いいのかな、これで?」っていうときのほうが、いいタイムが出たりもします。

WJS 1回の練習で、ガソリンをどれくらい使うのですか?
 60リットルは焚いてましたね。TZとSJを満タンにして、なくなるときもありましたから。

WJS それだけ乗ったら、帰りはフラフラになりませんか?
 利根大堰からジェットを置いているところまで、1時間20分くらいかかるんですけど、帰る途中、最低2回は眠くて止まっていました。なので、家に着くのは夜12時とか、そんな感じでしたね。


関さんは、2004年に第1回S-1全国大会のスポーツクラスで優勝、それから2008年まで、無敵の5連覇。マシンはTZ


余裕があるから「勝つのが当たり前」じゃなくて、余裕があろうがあるまいが、「そうしないといけない」と思っていた

WJS 2007年から、スポーツクラスだけでなくスキークラスにもダブルエントリーし始めていますよね?
 当時、土子(義信)さんや北澤(勝也)さんがスキークラスで活躍されていて、「やっぱり立ちだよな」と思っていました。タイムうんぬんではなく、例えば、写真を撮ったときも、立ち乗りのほうが格好いい。立って乗っているところを写真撮って欲しいなって(笑)。で、スポーツクラスはやめました。

WJS あのころスポーツクラスでは「勝ち逃げ」と、言われていましたよね。
 言われましたね(笑)。本当は誰かにバトンを渡して、と思ったんですけども、誰も追いついてきてくれなかったので、もう待っていられないって。

WJS 関さんが世界チャンピオンになった2017年、チームメイトで、2016年~2019年のS-1 スキークラスで4年連続チャンピオンとなった金子 聡選手が、「2連覇目のプレッシャーで苦しくて辛かった」と泣いていたのを今でも覚えています。それだけS-1で勝ち続けることは大変なのですね。
 はい。あのときサトルがウチに来て、ハバスの話や全国の話をしたんですけど、「辛かった」って言ってましたね。「関さんが2連覇した辛さが身に沁みました」って。「でも、悪いけど、俺、5連覇だから」って(笑)。

WJS でも、スポーツクラスで勝ち続けているときの関さんは、全然辛そうに見えませんでした。
 いやー、辛かったですよ。傍から見るとそう見えるかもしれないけれど、中澤さんていう人が、本当にいつもすぐ後ろにいて、常にプレッシャーをかけられていました。僕は、「全国大会が取れればいい」じゃなくて、全部勝ちたかった。「シリーズ戦を全部勝って、全国も勝つ」が目標でしたから。1年間、ずーっと気を張ってなきゃいけなかった。

WJS 取材している側からすれば、スポーツクラスは、関さんが勝つのが当たり前のような気がしていました。
 自分でも「当たり前」って思ってました。でも、その「当たり前」って、余裕があるから「当たり前」じゃなくて、余裕があろうがあるまいが、「そうしないといけない」と思っていました。
ウチの嫁さん、僕が負けて帰ると機嫌が悪いんですよ。「負けたら帰ってくるな」って。1回、負けて帰ったら家にチェーンがかってましたからね(笑)。

WJS それだけ奥様も、関さんと一緒に戦っているのですね。
 すごく男気のある嫁さんで。2017年にハバスに行くときも、絶対文句言われるだろうなって思いながら「俺、実はハバスに行きたいんだけど」って言ったら、間髪入れずに「いいじゃない、行っておいでよ」って。本当にありがたいですよね。

WJS ご主人の性格も分かっているし、やりたいことも分かっている。とても理解がありますね。
 そのかわり、負けて帰ると大変です。「絶対に勝って帰ろう」っていうのは、いつもあります。


関選手を魅了した、プロスキークラス・3年連続世界チャンピオン、ジェレミー・ポレット選手の走り。


S-1は本当に厳しい。1年間集中していないと、チャンピオンは取れません

WJS S-1グランプリの全国大会では常勝の関さんですが、2016年に金子 聡選手に負けて、スキークラスの2位になりましたよね。あのときの敗因は何だったのですか?
 負けたくはなかったんですけど、あのとき、すでに頭の中に「ハバス」があった。気持ちがハバスに行っちゃってたんで、まあ勝てないですよね。それと、あのSJはチューニング仕様になっていて、S-1の直前にストックに戻して走ってるんです。それで勝てるほど、S-1は甘くない。
草レースっぽく見えるかもしれないけれど、S-1は厳しいです。本当に、1年間集中していないとチャンピオンは取れない。皆、それなりの気構えでやっていると思うので、それを超えようと思ったら、各クラスのチャンピオン以上の意識を持って、ガソリンを燃やさなきゃダメなのです。

WJS それだけ大変な思いをしても、S-1をやめることを考えたことはないのですか?
 自分の頭のなかに、「チャンピオンを取ったままやめたくない」っていうのがありました。過去に、スキークラスでチャンピオンを取ったままやめた人がいるんですけど、自分が勝ったときに、「今日、あの人がいたら、俺は勝てたのかな?」って、必ず頭をよぎるんです。そういう思いを、他の誰かにしてほしくない。だから、誰かに踏んづけられるまではスキークラスを続けようと思っていました。

WJS そういう意味では、金子選手に負けたことで、気持ちが楽になったのではないですか?
 そうですね。100分の6秒差でしたけど、サトルが俺を踏んづけて上にいってくれた。それが自分のチーム員で良かったっていう部分もありますね。
ハバス行く前に、サトルが僕に言ったんです。「僕は日本を取るから、関さんは世界を取ってください」って。


2019年S-1全国大会で優勝した金子 聡選手。2016年に関選手に勝ってから4連覇している。


勝ちたいから、ほかのあらゆるものを我慢して、19秒、20秒のコースを走り続けていました

WJS ヤマハ主催のS-1スラローム大会は2019年で終了してしまいましたが、もしこの先、S-1が復活することがあれば、また出場されますか?
 それも考え中です。さっきも言ったように、S-1をやっていると、1年間ずっとS-1に集中してなきゃいけないので、他のことが一切できなくなる。フリーライドも楽しみたいし、今まで行きたくても行けなかったレースにも行きたいですね。

WJS これからは、S-1以外にもジェット遊びを楽しむということですね?
 今のところ、僕の中では、ハバスでひとつの区切りかなって思っています。

WJS そう聞くと、本当に背負っているものが大きかったのですね?
 ものすごくキツかった。勝ちたいから、ほかのあらゆるものを我慢して、本当に19秒、20秒のコースを走り続けていました。猪苗代湖に行っても、あの広い湖にスラロームコースのブイをポンポンポンと打って、あそこだけ走って帰ってくるなんてことはザラでした。

WJS 本当に、人生がS-1のためにあるようですね?
 そうですね。でも、僕だけじゃない。S-1ライダーは皆、そうです。変な世界ですよ(笑)。

WJS S-1は、コースを1往復する体力があればいいと思うのですが、そうではないのですね?
 レース1本走るだけだったら、多分、10年後でも走れます。でも、その「1往復」を速く走るための練習とかパーツテストは、しこたまやらないといけない。そのときの体力が欲しい。でもそのための脚力がなくなってきてますね。

WJS 勝てなくてもいいならいくらでもできるけど、勝とうと思うと難しいということですね?
 でも、勝とうと思わなかったら、やってても面白くない。勝てないと思ったら、もうやらないです。


S-1が人生、と言えるような年月を過ごしてきた


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