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ジェットスキーの歴史 世界最初の水上バイクは「シードゥ」 昔はイメージが良くて、マリンスポーツの代表的な存在だったのに… (水上バイク)ジェットスキー

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ジェットスキーの始まり

一般的に使われている「ジェットスキー(Jet Ski)」という名称は、川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー(以下、カワサキ)が製造している水上バイクの商標です。

しかし、カワサキのジェットスキーが爆発的に売れたため、「ジェットスキー」という名称が、メーカーや、タイプを問わず、あらゆる“水上バイクの通称”として定着しています。アメリカに行くと、“シードゥ”や“ヤマハ”が置いてあっても「ジェットスキー」と書かれています。

セロハンテープを「セロテープ(ニチバンの登録商標)」と呼ぶくらい、馴染みのある言葉になっているのです。

1973年に、カワサキ最初のスタンドアップ「JS 400」が発売されました。その後の1977年に発売されたジェットスキー「JS 440」が爆発的に売れたため、「ジェットスキー」という名称が、メーカーや、タイプを問わず、世界中で、あらゆる“水上バイクの通称”として定着した。


世界最初の水上バイクは「ボンバルディア シードゥ」だった

1968年にボンバルディア・レクリエーション・プロダクツ社(BRP)が発売した1人乗りのシッティングタイプ「ボンバルディア シードゥ(Bombardier Sea-Doo)」が、最初の水上バイクです。

カワサキのジェットスキーが、最初の「水上バイク」だと思っている方も多いでしょうが違います。

ボンバルディア シードゥは、5年後にカワサキのジェットスキーを作った発明家、クレイトン・ジェイコブソン 2 世氏(Clayton Jacobson II)と、ボンバルディア社のローラン・ボードイン氏(Laurent Beaudoin)の2人の共同で開発されました。

しかし、この2人の水上バイクに対する考え方は違っていました。ボードイン氏は、同社の主力商品、スノーモービル「Ski-Doo」のスリルを、水上で実現したいと考えておりました。一方オフロードバイクが趣味のジェイコブソン氏は、水上を走るバイクのような、ジェット推進のスタンドアップを開発したいと思っていました。

世界初の水上バイクは、1968年に(BRP)が発売した1人乗りのシッティングタイプ「ボンバルディア シードゥ(Bombardier Sea-Doo)」だった。ボンバルディア社は、同社のスノーモービルブランドであるスキー・ドゥーからヒントを得て、フロントフードを丸くし、トレードマークである黄色に黒のストライプを施しました。そして、「Ski-Doo」の名前を少し変えて「Sea-Doo」が誕生したのである。


高速で転倒しても、無事でいられるオフロードバイクはないですか?

ジェイコブソン氏が水上バイクを発明したきっかけも、バイクのレースにあります。もともと彼は、バイク(モトクロス)のレーサーでした。

モハベ砂漠を、暑さに耐えながら走ることが多くなったとき、暑さをしのぎ、心理的なアドバンテージを得るためのひとつの方法として、パッド入りの革製ジャンパーや、袖のある服のような、「体を守るけれど暑い服」を着ないでバイクに乗っていたそうです。

ある日、ジェイコブソン氏はレース場で軽いクラッシュをしました。帰宅途中の休憩中に友人とビールを飲み、傷口についた砂利を払いながら、「高速走行中に、硬い地面に落ちるという危険を伴わずに、オートバイの爽快感や興奮を楽しむ方法はないのか」と嘆いたそうです。その夜、彼は「水のためのオートバイ」をスケッチしました。

ジェットスキーを発明した日のレース(597がジェイコブソン氏)。この日、転んで腕をすりむき、腕、肩、首に砂利の擦り傷ができていました。ここから、「水のためのオートバイ」を考え付いたそうです。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


1965年、12種類のスタンドアップのプロトタイプを製作、それを見たBRPからオファー

1960年代半ばに、ジェイコブソン氏は勤めていた会社を辞めて、水上バイクの開発に専念します。1965年に最初のプロトタイプが完成しました。最終的に12種類のスタンドアップのプロトタイプを製作。そして可動式のハンドルポールや、セルフサークリング機能などの特許を取得しました

1966年に作られた2台目のプロトタイプは、当時、スノーモービルを主に製造していたボンバルディア社の目に留まり、後に「シードゥ」となるジェット推進式水上バイクのシッティングタイプのライセンスを取得します。

最初のプロトタイプ。スタンドアップ、モデル。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


開発コンセプトは、「水の上を走る、スノーモービル」。残念だが、短命に終わった

しかし、ボンバルディア社の意向により、ジェイコブソン氏はスタンドアップの開発を一時取りやめて、座り乗りタイプの水上バイクを作りました。それが、1968年に発売された、世界初の水上バイク「ボンバルディア シードゥ」です。

スペックは、18馬力の単気筒、空冷 320ccエンジンを搭載。最高速は、約40km/hでした。翌69年には水冷式の372エンジンを搭載して25馬力のパワーアップを実現しましたが、1970年、発売からわずか2年で廃盤となりました。

この理由は、初代モデルの空冷エンジンは、頻繁に壊れた。翌年の、水冷式エンジン搭載により、多少の改善は成されたものの、「壊れやすい」という抜本的な問題は解消されませんでした。海水がエンジンやポンプ、制御装置を蝕み、さまざまな問題が発生したのです。そんな中で、当時、急成長していたスノーモービルに、ボンバルディア社が力を集中するという方針から、廃盤したのだとも言われています。

シッティングタイプのプロトモデル。水上を走るスノーモービル。だから、シッティングタイプだった。


1973年、カワサキから”世界初のジェットスキー”「JS 400」が発売 水上バイクとしては2番目

ジェイコブソン氏は、ボンバルディアとの契約により、1971年まで他のメーカーとライセンス契約を締結できませんでした。契約が切れた1971年、彼はKMC(カワサキモータースコーポレーション、アメリカの販売会社)にアイデアを持ち込み、スタンドアップモデルに関する特許とライセンスの供与を、カワサキと独占契約で結びました。そしてできあがったのが、「ジェットスキー」です。

1973年、カワサキは最初のスタンドアップ「JS 400」を発売しました。今のジェットスキーブームの原点となったモデルです。排気量400ccの水冷2気筒のエンジンで、最高馬力は26馬力。

このJS 400は、4年ほど販売されました。それから、1977年にその後のこのスポーツの基礎を築いた「JS 440」にバトンタッチする形で、「初めの一歩」としての役割を終えました。もちろん、日本国内で正式に販売されていなかったので、乗るとしたら並行輸入しかありません。JS 400を国内で見る機会は、非常に稀だったといえましょう。

日本国内でカワサキのジェットスキーが正式に販売が開始されたのが、1983年です。それ以降、バブルという時期も相まって、爆発的な人気を呼びました。

1973年に発売された、世界初のジェットスキー「JS 400」は日本国内では、正式に販売されていなかった。


1986年、ヤマハが、国内初のマリンジェット「MJ-500T」と「MJ-500S」を発売

それまではカワサキだけしか販売していなかった水上バイクですが、1986年に、ヤマハが国内で最初の市販艇となる「MJ-500T」と「MJ-500S」を発売しました。

ヤマハは船や船外機など、国内のマリン業界のトップメーカーです。カワサキのジェットスキーを見て、自分たちもその分野への参入を検討するのは、メーカーとして当然のことです。

機種名に付いている「MJ」は、ヤマハの水上バイクの商標「マリンジェット」の頭文字です。ちなみに「MJ-500T」は32馬力でした。「MJ-500T」と「MJ-500S」は、共にハンドル固定式のタイプで、これは、パテントの問題で、カワサキのスタンドアップのように「ハンドルが上下に動く可動式」にできなかったからです。

1986年、国内初のマリンジェット「MJ-500T」と「MJ-500S」を発売。

  最初は1986年11月に、2人乗りの「MJ-500T」がデビュー。2か月後の1987年1月に、1人乗りの「MJ-500S」が発売された。


1990年 ヤマハ初のスタンドアップ「MJ-SuperJet 650」を販売

1990年前後に、アメリカと日本で別々に特許が切れたので、ヤマハはハンドルが上下に動くスタンドアップ「MJ-SuperJet 650」の開発・販売を開始しました。

このころが、国内の水上バイク販売台数のピークでした。現在は年間3,000台弱ですが、このころの販売台数は10,000台を超えていました。

1990年代前半の販売台数が年間10,000台を超えていたと言いましたが、ちなみに、1995年の登録台数は84,510台です。そのうち、スタンドアップは38,024台で、約45%を占めていました。いかに「立ち乗り」に人気があったのかが、分かる数字です。

1990年発売、ヤマハ・初代スーパージェット「MJ-SuperJet 650」。


座って乗る、ランナバウトばかりが“売られる”時代に

1990年代後半になると、各メーカーは、座って乗れて、誰もが簡単に操縦できる「ランナバウトタイプ」の開発に力を入れてきます。スタンドアップのように、「乗るのが難しい」「上達するまでに多くの練習時間が必要」という乗り物は、次第に隅に追いやられていったのです。

それ以降、メーカー間の馬力競争とも呼ぶべき時代に突入します。毎年、高馬力モデルが発表されていきましたが、ここ数年で、ようやく馬力競争からファントゥライドへと移行してきました。

1990年代後半以降、座って乗れて、誰もが簡単に操縦できる「ランナバウトタイプ」のモデルばかりが販売されるようになった。


水上バイクのイメージが悪化していく歴史

今、水上バイクのイメージは非常に悪いものです。スタンドアップモデルしか販売されていなかったころは、「ジェットスキー」といえば、テレビコマーシャルで使われているほど好感度の高いものでした。マリンスポーツの中でも、とりわけ爽やかなイメージだったのに、それが今では真逆のイメージを持たれています。

昔は、数あるマリンスポーツの中でも、とりわけ爽やかなイメージだった。


嫌悪すべきは、「マナーを守れない馬鹿なユーザー」の存在です

人々がスポーツマンに惹かれるのは、「純粋に、競技に取り組む姿勢」にです。「丘サーファー」という言葉があるように、実際にサーフィンをやっていなくても、人に見せびらかすためにボードを持っているのでは嫌悪の対象です。人はエセが嫌いです。

本当に、目の前の波に真剣にチャレンジしている人は、まわりの目など関係ないのです。人が見ていようがいまいが、そんなことは重要ではないからです。

人に見せびらかすために乗っていたり、危険な走行をしたり、常識やマナーを守れない人はジェットに乗らないで欲しい。


「マリンレジャー」と「スポーツ」

ランナバウトと違って、スタンドアップは買ったその日から、すぐ上手く乗れません。初心者なら、目の前の水面だけにしか意識がいかないので、ナンパなどしている余裕はないのです。

立って乗れるようになっても、上手く曲がれない。転びまくって、水を飲みまくる。都会の川や海は、おせじにもキレイとはいいがたいので、日常、生活しているときには、絶対に飲みたくありません。

現代の水上バイクは、「マリンレジャー」というだけで、「スポーツ」と認識されていないような気がします。私は、乗っている水上バイクも楽しみ方も、昔と変わっていないつもりなのに、30年前は好感が持てる乗り物で、今は、「最悪」。この理由はなんでしょう。

「自分はスポーツマン」と思っていても、スタンドアップは、すぐには上手く乗れません。それが、悔しくて夢中になる人が多かった。特に、体の大きな人はバランスをとるのが難しい。


今、問われているのは「人格」です

「マナーも守らずに、見せびらかすためだけに乗る馬鹿な人」が増えたからに、ほかなりません。レジャーでも、家族や友人を楽しませて、彼らが喜ぶ姿を楽しんでいる人を見て、不快な印象は受けません。

ゆっくりと都心の川を水上バイクで走っていると、道路を歩いている子供たちから手を振られることが多くあります。子供に手を振り返している水上バイクを見て、不快に感じる人もいないでしょう。

私たちの願いはたったひとつです。「普通に、常識を守って乗って欲しい」。これだけです。

水の上を爽やかに走る喜びは、非日常の極みです。人生の喜びであり、本当に楽しいレジャーだと思っています。お願いですから、他人から見られても好感を持たれる振る舞いをしてください。今、問われているのは「人格」なのです。

ジェットは素敵なレジャーです。常識を持って、マナーを守って楽しみましょう。


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