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72歳のジェット乗り ジェットスキーと出会った伊藤尚美さんの人生 インタビュー ジェットスキー(水上バイク)

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一度きりの人生、どう過ごすかは自分次第なのです

「秋ヶ瀬のゲレンデに、ご高齢でジェットに乗っている人がいる。 その人がスゴイんです」と、2018年のスパーククラスチャンピオン・大岡嗣典選手から、1人の男性を紹介してもらった。

名前を伊藤尚美さんといい、御年72歳。
カワサキ JS 550に乗り、華麗にブイをまわる。
トーイングスポーツが得意で、ウェイクボードを乗りこなす。

何より私が、心を動かされたのは、72歳という年齢でジェットスキー(以下、ジェット)に乗っているからではない。
伊藤さんは、25歳のときに屋根から落ちて大ケガをし、医者には半身不随と宣言された。それでも諦めずに努力を重ね、「今、動けることが幸せ」という姿勢で人生を生きてこられたことだ。

72歳の伊藤尚美さん。スタンドアップに乗り、ウェイクボードを颯爽と乗りこなす。

伊藤尚美さんに聞く「ジェットスキーと人生」

最初、僕がやりたかったのは「水上スキー」です

WJS はじめまして。今回、ライダーの大岡嗣典選手に、「秋ヶ瀬に、ご年配のスゴいジェット乗りの方がいる」と紹介していただきました。最初にお名前と生年月日を教えていただけますか?
伊藤 伊藤尚美です。昭和23年2月23日生まれで、現在、現在72歳です。

WJS ジェットを始めたのは、いつですか?
伊藤 始めたのは30年くらい前です。

WJS 最初に乗ったジェットは何ですか?
伊藤 650 X-2。その次がランナ。シードゥに乗ってました。でも最初、僕がやりたかったのは「水上スキー」だったんですよ。他でやらせてもらって、やみつきになって。

WJS 650 X-2で、水上スキーを引っ張っていたのですか?
伊藤 はい。引っ張ってもらっていました。でも、パワーがないから引く方が大変なんです。だから、ひっくり返らないようにフロートを付けていました。

WJS ランナバウトは、何を買ったのですか?
伊藤 シードゥの3人乗りです。まだエンジンが700いくつかで、ちょっと機種名は覚えていませんけど……。

WJS 基本的に、ランナバウトはトーイング用に使っていたのですね。
伊藤 はい。だけど、立ち乗りで遊んでいる人を見て「楽しそうだな」って。650 X-2の次に、ヤマハのSJを買いました。

WJS ずっと引っ張ってもらうほうがメインだったのに、自分で乗る方が面白くなったわけですね?
伊藤 「両方楽しみたい」という感じだったのですが、徐々にジェットのほうが楽しくなってきました。

最初は水上スキーがやりたかったという伊藤さん。ウェイクボードもお手のものだ。

現在、所有しているジェットは6艇。そのうち5艇がスタンドアップ

WJS スタンドアップは、いつ買ったのですか?
伊藤 2000年ごろです。最初に買ったのはヤマハのSJで、そのあとにカワサキ550やSX-Rを買いました。

WJS 今、何台のジェットをお持ちですか?
伊藤 6台です。550とスーパージェットと、800 SX-Rの船体に3気筒の1100エンジンを積んだのと、800 SX-Rの船体にシードゥの951エンジンを積んだのと、SX-RとシードゥGTX Limited 300です。

WJS 最初に650 X-2を買って、シードゥのランナバウトを買って、次はスーパージェットですか?
伊藤 スーパージェットはX-2の代わりみたいな感じで買い替えました。

WJS そのあとに550を買ったのですね?
伊藤 はい。どうしてかっていうと、SJはクルマに積めなかった。550はワゴン車のなかにデカいランナを入れて、その斜め上にちょうどスポッと入るんです。

WJS どの機種が、一番お好きですか?
伊藤 全部です。順番に乗っています。

WJS この550は、チューンナップしているのですか?
伊藤 これは全くノーマルです。面白いから、そのままにしています。

WJS 800SX-Rベースのカスタム艇が2台もあるのですね?
伊藤 はい。カワサキの3気筒の1100と、シードゥの951エンジンを入れてます。何としても、シードゥの951エンジンを載せてみたかった。951エンジンは、1100エンジンに比べるとちょっと落ちるけど、チャンバーを削って入るようにしてます。

WJS エンジンは、ご自分で換装をされたのですか?
伊藤 はい。皆に教わりながらやりました。

ハイパワーな4ストロークスタンドアップ「SX-R」も乗りこなす。


25歳のとき、仕事で屋根から落ちて死線をさまよいました

WJS 伊藤さんは、お仕事は何をされていたのですか?
伊藤 今は引退していますが、昔は大工です。70歳までやっていましたが、この先、もし何か事故が起きたらお客さんにも迷惑かけるし、自分も嫌だった。だったらここらへんでって引退した。最初は、60歳で辞めるつもりだったんだけどね。

WJS 若いときから、大工のお仕事をされていたのですか?
伊藤 そうです。大工一本です。

WJS お仕事をされていたとき、何か印象的な出来事はありましたか?
伊藤 大ケガをしました。実は、25歳のときに、仕事中に屋根から落ちているんです。 圧迫骨折しました。第三頸椎をやっちゃって、「一生、半身不随かも」って、医者から言われたくらいの大ケガでした。

WJS 屋根から落ちたのですか?
伊藤 はい。あのとき、「自分はもうダメだ」、「人生、終わり」と思いました。屋根から落ちる瞬間、何秒間の間に「あっ、これで自分はもうダメだ」って。

WJS そんなに高いところから落ちたのですか?
伊藤 2階建ての屋根の尖っている部分だから、7m50cmはありました。

WJS 落下している間の体感時間が長そうですね。
伊藤 はい。計ったら1、2秒なのにね。

WJS 今でも、事故を思い出すことはありますか?
伊藤 昔、子供たちとサマーランドでジェットコースターで落下するときに「うわっ! まただ!!」って(笑)。

WJS 差し支えなければ、どうして落ちたのかを聞いてもいいですか?
伊藤 冬、2月だったんですけど、他にも仲間がいて、「今日は寒いし、風も強い、仕事をやめて帰ろう」って、たき火に当たっていたんです。そうしたら瓦屋さんが来て、「どうしても今日やらなければ、また1週間延びてしまう」「今、やって欲しい」って言われたんです。それで、嫌々屋根に上がって。墨を使って印を打つんですけど、糸を引っ張ってきて、ふっと気が付いたら屋根がなくなってた。片足は、すでに屋根の外でした。真下には、前の日に材木の切れ端とかをまとめておいた瓦礫の山がある。何としてもその山だけは越えなきゃって、残った足で屋根を蹴って……。まあ、なんとか越えられたので良かったんですけど。

WJS 落ちる瞬間に、「どこに落ちるか」を判断したのですか?
伊藤 はい。変なふうにその場で掴まると、足場にぶつかって体が回転する。そっちのほうが、悲惨な結果になりそうだ。それなら、瓦礫を飛び越えたほうが、何とかなるかなって。

WJS どっちも嫌な決断ですよね。
伊藤 はい。どっちにしても無傷ではいられないと思いました。

WJS 落ちた瞬間のことは覚えていますか?
伊藤 いいえ。記憶が消えたり、戻ったりしました。もう、何がどうなったかは分からないんですけど、「空がグリーン」だったのは覚えている。新芽の頃みたいな木がバーッとたくさん生えていて、誰かが呼んでいるんです。木のそばで呼んでいるんですよ。今考えれば、ああ、あれが「呼ばれる」ってことだったのかな。あのとき、僕は、呼ばれてたんです。

WJS 痛さとかは覚えていないのですか?
伊藤 はい、気を失ってて。救急車が来るからクルマに乗せるって、何人かの人で動かすんだけど、「うーっ」ってうめいたきり、また気を失って。少し時間が経って、また動かされたら「うーっ」みたいな感じでした。

WJS ケガはひどかったのですか?
伊藤 着地はしたんだけど衝撃が強すぎて、医者には「もうダメ」って言われたんです。それから動けるようになって、1年、2年経ったとき、そこのお医者さんに行ったら「ああ、よかったね」って。「あなたは命拾いした。これからの人生は、世の中のためにやりなさい」と言われたけど、なかなかそれらしいことは出来なかったかも(笑)。でも、仕事頑張ってお客さんに喜んでもらえれば、それでよかったのかなって。そう思っていました。

WJS 医者にダメかもしれないと宣告されたとき、伊藤さんご自身も「この先、動けないんじゃないか」とは思わなかったのですか?
伊藤 思いました。でも、少しずつ、少しずつベッドから立ち上がるみたいな感じで。トイレにも行かなくっちゃだし、強引に手すりにつかまって、少しずつ……。「手すりって、こんなに便利なものなんだな」って思いました。

「筋肉を付けて骨の分をカバーするしかない」と医者に言われ、できるだけ体を動かそうと思ったという。


いつダメになるか分からない。「じゃあ、10年間、頑張ってみる」みたいな感じだった

WJS リハビリといっても、最初は、立ってること自体が奇跡だったわけですよね?
伊藤 そうです。でも、1カ月くらいしたら、徐々に動けるようになってきて、動けるなら動けるうちに、動けるだけ動いてやろうって。「筋肉を付けて、骨の分をカバーするしかない」と医者に言われたから、頑張るしかなかった。

WJS 傷んだ骨を、筋肉でカバーするわけですね。
伊藤 そうそう。それで、「動けるんだから」って、3カ月くらいで強引に仕事に戻ったけれど、いざ働くと「こりゃダメだ、大変だ」って思いました。復帰して1週間で、また入院しなきゃダメだと言われたんですが、「ここで入院してしまったら」っていうことで頑張りました。

WJS 無理して仕事をしたら、もっと悪くなるとは思わなかったのですか?
伊藤 若いんだから、何とかなるって自分に言い聞かせるしかなかった。そのとき、婚約していたんです。だから、ここで萎れるわけにはいかなかった。当時、婚約していた女房も「何とか頑張ってもらいたい」って、入院中も、ずっと付き添ってくれてた。当然、彼女の両親からは結婚を反対されました。俺も「無理だと思う」って言ったんですけど、どうしても女房がね。「アンタも1人で田舎から出てきてるんだから、誰もいないんだから」って、付いていてくれて。「これは頑張んなくちゃ」って思いました。

WJS 仕事に戻って、「なんとかやっていける」と感じたのは、どのくらい経ってからですか?
伊藤 1年、2年経ったころかな、「このまま行けるんじゃないか」って。だけど、いつダメになるか分からない。だから目途として10年。じゃあ、10年間、頑張ってみるみたいな感じでしたが、大丈夫だとは思っていなかったです。いつ壊れるか分からないけども、やれるうちに何かをやろう。家族にお金を残そう、みたいな感じで、ガムシャラに働きました。

WJS リハビリの意味も含めて、水上スキーを始めたのですか?
伊藤 水上スキーの前に、雪山スキーです。子供たちを連れて山にスキーに行くようになった。水上スキーはそれからしばらく経ってからです。40歳前だったかな。

WJS ケガをしたことで、何か制約はなかったのですか?
伊藤 別に、「こういうものを食べちゃいけない」っていうものじゃないから、運動でもなんでも、やればやっただけ何となく前に進む。無理したからって、急にどうこうなるっていうこともなさそうだった。いつ動けなくなるか分からないから 「やれるうちにやっておこう」みたいな感じですね。

写真左:2018年のスパーククラスチャンピオン・大岡嗣典選手。右:伊藤尚美さん。いつもこのゲレンデで一緒にジェットに乗っている仲間だ。


「60歳まで」と思っていたけど、宮古島の耐久レースに初めて出て、やめるのは「65歳でもいいかな」って

WJS 生死に関わる大ケガを乗り越え、歩けなくなるかもしれないと言われていたのに、今、ジェットに乗っていられる自分は普通の人よりも幸せだと思っているわけですね。
伊藤 思ってます。それは、かなり思っています。だいぶ前から、ジェットをするにも何をするにも「60歳まででいいな」って思っていました。でも60歳のときに、宮古島で耐久レースがあるからって誘ってもらって、楽しんで出してもらった。「これは、やめるのは65歳でもいいかな」って言いながら、70歳になったらなったで「あれれれ」みたいな(笑)。

WJS 仲間がいるからジェットも楽しいのですね?
伊藤 ジェットをやるにしても、何をやるにしても、自分1人で何かをやるわけではないです。いろんな人が手伝ってくれます。若い人たちや、オーちゃん(大岡選手)や秋ヶ瀬の仲間たち全員が、何かあったらすぐに手を貸してくれるんです。だから、今もやっていられるんです。

WJS 伊藤さんが、最初にジェットをやられたのは40歳前で、今、72歳ってことは、単純に32年前からジェットに乗っているわけですよね。毎週末、秋ヶ瀬で乗っているのですか?
伊藤 ほぼここで乗っています。毎週っていうと語弊があるけど、ここにいることは多いと思います。

WJS 伊藤さんがジェットを始められた当時は、今よりも秋ヶ瀬は人が多かったですか?
伊藤 多かったと思います。駐車スペースがこんなに広くなかったっていうのもあるけれど、クルマを停めるところがなかったくらい。僕は桟橋兼スライダーみたいなのを自作して、テトラのある方向にそれを引っ張って行って置いて、そっちのほうから降ろして遊んでました。

WJS ジェットに乗り始めて、水上スキーはやめたのですか?
伊藤 水上スキーはやめてないです。最近もやってます。

WJS トーイングスポーツが大好きなのですね。
伊藤 それが始まりですから。

秋ヶ瀬ゲレンデの仲間たち。「彼らがいるから、今もジェットをやっていられる」と言う。


マイナスから立ち上がったから、今あることが感謝です

WJS 25歳の大ケガのときがどん底で、そこから先はハッピーしかないのですね?
伊藤 体もダメだと思ったけど何とかなったから、幸せ。本当に幸せ。おかげさまで、本当にそれは恵まれたなって。僕は、本当にいい人たちに恵まれました。普通なら、「こんな年寄りは放っておけ」みたいになるのに、ここでは若い人たちが何でも教えてくれます。

WJS 1週間頑張って、ここでジェットに乗ることがリフレッシュなんですね。
伊藤 はい。仕事をしているときでも、「疲れたけど、秋ヶ瀬に行って1回でも2回でも乗ったら元気になる」って。そこで発散するみたいな感じ、日曜日に来るのが楽しみですね。僕は、マイナスから立ち上がったみたいなもんだから、今があるのは「儲けモン」。動けるあいだに、何でもやればいいと思っています。

WJS 毎週、秋ヶ瀬には何時ごろに来られるのですか?
伊藤 9時くらいですね。もうちょっと若いころはもう少し早かったけど、最近、皆さんも遅いから、9時から9時半くらいですね。

WJS 来たら、最初に何をするんですか?
伊藤 ブイを張ります。 自分のブイはスラローム用のブイで小さいので、他の人の大きいブイが来たらそれを一緒に張ります。

WJS 1日に、どれくらい乗るのですか?
伊藤 体調にもよるけど、疲れたときは「無理だな」とか思いながらでも、まあ1周でも2周でもまわろうと決めている。目標物があれば、それなりに頑張れます。

WJS 秋ヶ瀬で楽しむ方法は、ブイをまわることですか?
伊藤 それもありですが、あとは水上スキーとかウェイクボードとか引っ張りモノで楽しむ。ここは波がないですからね。

WJS 何年やっていても、乗りこなせるようになるのが面白いわけですね?
伊藤 面白いですよ、そりゃ。自分の成長が分かりますから。

WJS ジェットだけでなく、いろいろなことにそれだけ情熱を注ぎ込めるのがすごいと思います。
伊藤 よほど、大工の仕事で儲けたんじゃないかと思うかもしれないけど、働きましたからね、正直言って。皆さんが1カ月で終わる仕事を、もうちょっと日にちを詰めてやろうとか、そういうことはやってきましたからね。

WJS そこまで伊藤さんを動かす原動力は何でしょうか?
伊藤 「先がない」と思っていたから。それが第一です。自分の体がいつ壊れるか分からないという不安の中で仕事を続けてきたからです。

WJS ケガをしたことで、人生が変わったのですね。
伊藤 「いろいろやっておこう」と思っています。できることなら、やりたいことを、全部やりたい。ジェット以外では、今、弓道もやっています。25歳で死線をさまよって、今、自分がここにあることが幸せで、感謝しかありません。

WJS これからも、体に気を付けて、長くステキなジェットライフを送ってください。
伊藤 はい、ありがとうございます。

「今は感謝しかない」と、爽やかな笑顔で語る。



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