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31年間、トップを走り続ける男の物語 国内最強の男・竹野下正治プロが語る ジェットスキー(水上バイク)

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1989年〜2020年の衝撃のレーシングヒストリー

31年間、トップを走り続ける「竹野下正治」

「日本人最強ライダーは誰か?」と考えたとき、編集部では「竹野下正治」という名前しか出てこなかった。本特集は、「竹野下プロへの想い」から始まったものである。
今の世の中は、やれインスタグラムだ、やれツイッターだと、自己発信が盛んだ。偉大な勝利でなくても、「モノスゴイ優勝」と、自分で自分を褒め称え、挙句の果てに嘘の世界チャンピオンになりすましている輩までいると聞く。

スポンサーが欲しくて、過剰な自己アピールをする気持ちは理解できる。しかし、デジタルであろうと紙であろうと、嘘は残ってしまう。将来、本当に偉大なチャンピオンになれるかもしれない選手が、未来永劫に渡って「あいつは成績を脚色していた」と言われ続けるような真似はして欲しくない。

そんな世の中で、「竹野下正治」というライダーは、自分の記録を覚えていない。だからシーズンが終わると、自分の過去の戦績を編集部に尋ねる電話がかかってくることがあるのだ。 普通の人間なら、毎晩、自慢するような戦歴なのに……。「次のレースに勝つためには、どうすればいいのか?」。そんなことしか考えていないのだろう。明日の戦いしか見ていない。

「プライド」を手に入れるための戦いに、人生を懸ける。そのためには、現役で居続けなければならない。毎年、レーシングシートを確保する彼の方法はたったひとつ。「勝ち続けること」。

竹野下正治
1966年3月生まれ、現在、54歳。
レース歴31年。現役の全日本チャンピオンだ。今から1989年からレースを始め、国内最高峰クラスのタイトルを合計11回と、タイのキングスカップタイトルを1回獲得している。
間違いなく、日本のジェットスポーツの歴史において「最強のライダー」だ。この先、彼に並ぶどころか、彼に近づけるレベルのライダーが現れるかどうかも分からない。

昨シーズンと、2021年の竹野下正治の近況

2019年にシリーズチャンピオンを獲得し、2020年はさまざまな理由からシリーズ戦にフル参戦していない。スポットで出場した大会で、優勝こそしなかったものの、存在感を見せつけた走りをしていた。

WJS 2020年は、1戦しかレースに出場していませんが、レースへのモチベーションが下がったということではないですよね?
竹野下 全くそんなことはありません。オファーをいただければ、いつでも戦えます。1戦だけ出場した大会でも、直前に依頼されて走らせてもらいました。

WJS 急に頼まれて、しかも1年以上ブランクがあっても、すぐに走れるものなのですか?
竹野下 はい。まだ、誰にも負けるとは思っていませんから。それに、7年ほど前から、ジェットに乗るのはレースだけという環境で戦ってきました。ぶっつけ本番が当たり前なので、全然、イケると思っています。

WJS いくら、「KING」と呼ばれる最強ライダーでも、現在54歳です。体力的にも、苦しいと感じることはないのですか?
竹野下 体力が落ちたと感じたことはありません。

WJS その年齢で、国内でもトップに君臨しているわけですから驚異的です。
竹野下 今から10年くらい前、当時、16歳だったケヴィン・ライテラー(オーストリアのライダー。17歳で世界チャンピオンを獲得した)が、ヨーロッパチャンピオンを獲得してキングスカップに出場したことがありました。そのとき、彼の父親がホルダーをしていたのですが、父親から年齢を聞かれたので「44歳」と答えたら、「私より年上だ!」と、本当に驚いていました。ヨーロッパチャンピオンであるケヴィンが、父親より年上のライダーに負けたことが心底ショックだったみたいです。

WJS 竹野下プロの年齢と活躍には、いつも驚かされています。
竹野下 僕の年齢を聞いて、人が驚くのは面白いです。だけど、これからまだまだ速くなりますよ。

WJS 今、何か気になることはありますか?
竹野下 昨年は1戦しか走っていないので、国内のレベルが分からなくて心配ですね。

WJS 何が心配なんですか? 今さら、心配することがあるのですか?
竹野下 2000年代の前半、紅矢(俊栄)さんや星野(正明)君らとアメリカツアーにフル参戦した翌年、国内戦に復帰しました。あのときは、デッドエンジンスタートや、マシントラブルで最後尾からスタートしても全員抜いて1位になることが何度もありました。あのとき、ちょっと世界とレベルの差を感じました。だから、トップが牽引しないとダメなんです。世界レベルでないと、海外との差がどんどん開いていきますからね。

WJS そんな心配をしているのなら、まだまだ世界を狙っているわけですね。
竹野下 出場できる大会は、全部、全力で優勝を狙っています。

自分が走るレースは、全てトップを狙いたいという竹野下プロ。

「最強の男」の進化の軌跡

1989年にレースデビューし、現在もトップライダーとしてレース界を牽引している。「これからもっと速くなる」と言う竹野下の、これまでの成績を追ってみた。

※JJSBAは、カワサキのワンメイクレース。ジェットスキーが日本で発売されてからしばらくは、カワサキからしか水上バイク(以下、ジェット)は発売されていなかった。
国内では、カワサキから最初のジェットスキー JS440が発売されたのは1980年、ヤマハから最初のマリンジェットが発売されたのは1986年である。

2011年、この年のシリーズチャンピオンを獲得している。



デビューから1999年まで

1989年/23歳

JJSBA ノービスクラス 1位
ノービスクラスでレッグターンをしながら走るライダーはいなかったが、アメリカのトップライダー、ジェフ(・ジェイコブス)やビクター(・シェルドン)の真似をして走っていた。理由は、「実戦で速く走れるのか試してみたかった」という。地元の広島は、関東や関西みたいにレース人口が多くなかったので、当時から、練習は1人でやることが多かった。「先生は、アメリカのトッププロたちのビデオだった」(竹野下談)。

1990年/24歳(所属/J.R.I)

JJSBA エキスパートクラス 1位
当時はプロになるのに、実技と学科の試験があった。前年のプロテストでは、実技は断トツのトップ通過だったが学科試験に通らず昇格ならず。エキスパートクラスでタイトルを獲得。

1991年/25歳(所属/J.R.I)

JJSBA エキスパートクラス 1位

1992年/26歳(所属/フリービートレーシング)

JJSBA NAクラス 1位
この年、アメリカのナショナルシリーズは、カワサキジェットスキーだけが出場できるワンメイクレースのほかに、ヤマハやシードゥなど、他メーカーも出場できるレース団体JJSFが発足した。
日本でも、初めて各メーカーのジェットが混走する「ウォータークラフトチャンピオンシップ IN 白浜」が開催。竹野下が、記念すべき第1回の優勝を手にした。

1993年/27歳(所属/フリービートレーシング)

JJSF A-2クラス 2位
JJSBA NAクラス 4位
JJSF全日本選手権大会がスタート。江ノ島で行われた第1回大会で、竹野下が優勝を飾る。

1994年/28歳(所属/フリービートレーシング)

JJSF 2位
JJSBA NA750モディファイドクラス 1位

1995年/29歳(所属/チーム兜)

JJSF A SKI 785 MODIFIEDクラス 17位
JJSBA NA 750クラス 1位

1996年/30歳(所属/チーム兜)

JJSF A SKI 785 MODIFIEDクラス 1位
JJSBA ナショナルA級750クラス 15位
ワールドファイナル PRO SKI 785クラス 2位
この年、竹野下の所属チームは兜だが、実際はマシンもメカニックもメーカーサポートのワークスライダー。竹野下が即戦力で、片山司が将来のための育成選手という名目だった。
この年、全日本チャンピオンを獲得し、ワールドファイナルに出場したが、国内のメーカーワークスチームなので、サポートは国内のみ。世界大会に参戦するためのマシンがなかった。アメリカで750SXi Proを探したが借りることができず、仕方なくヤマハのスーパージェットで出場。チャンピオンのジェフ・ジェイコブズをあと一歩まで追い込んでの世界2位という結果だった。
しかし、ヤマハ艇に乗ったため、帰国後、サポートを打ち切られることになる。

1997年/31歳(所属/TEAM WPS JAPAN)

JJSF A スポーツ 785MODクラス 6位
JJSF A ランナバウト 785MODクラス 4位
ワールドファイナル Pro SPORT 785クラス 7位
ワールドファイナル Pro RUNABOUT 785クラス 16位

1998年/32歳(所属/TEAM WPS JAPAN→フォートマイヤースFR)

JJSF A スキー 785MODクラス 14位
JJSF A ランナバウト 785MODクラス 22位

1999年/33歳(所属/DECK Racing)

JJSF A スキー 785SLTDクラス 5位

サポートを打ち切られた1997年だけは、スキークラスに出場せず、ランナバウトで国内戦を戦った。

全米ツアー参戦時代

2000年/34歳

全米ツアー参戦 Pro SKI 785 SSクラス 8位
JJSF A スキー 785SLTDクラス 32位
ワールドファイナル Pro SKI 785クラス 15位

2001年/35歳

全米ツアー参戦 Pro SKI 785 SSクラス 5位

2002年/36歳

全米ツアー参戦 Pro SKIクラス 10位
JJSF A スキー 785SLTDクラス 28位
ワールドファイナル Pro SKI 800 SSクラス 14位

全日本選手権に復帰

2003年/37歳(所属/KASHIZAKI WORX)

JJSF Pro スキー 800SLTDクラス 賞典外(5戦中4勝)
JJSF A スキー 800SLTDクラス 1位
全日本選手権に復帰。この年、JJSFにProクラスが発足した。しかし、前年までアメリカツアーに出場していた竹野下にはプロクラスの資格が与えられなかったため、A級にエントリー。特例として、プロクラスへのオープン参加(出場できるが、正規のポイントを手にすることができない)が認められ、5戦中4勝という圧倒的な速さを見せつけた。

2004年/38歳(所属/フォートマイヤース FR)

JJSF Pro スキー 800SLTDクラス 3位
ワールドファイナル Pro SKI 800 SSクラス 2位

2005年/39歳(所属/フォートマイヤース FR)

JJSF Pro スキー 800SLTDクラス 1位
ワールドファイナル Pro SKIクラス 16位
この年から、新しい4ストロークスタンドアップ、ハイドロスペースがレースに投入された。

2006年/40歳(所属/フォートマイヤース FR)

JJSF Pro スキークラス 800SLTD 1位
ワールドファイナル Pro SKIクラス 5位

アメリカから帰って来て、圧倒的な速さでトップに君臨した。

2007年/41歳(所属/フォートマイヤース FR)

JJSF Pro スキー 800SLTDクラス 1位
ワールドファイナル GP SKIクラス 2位
ワールドファイナル Pro SKI OPENクラス 8位
キングスカップ Pro SKI OPENクラス 1位
この年から、竹野下はハイドロスペースに乗り換える。
世界大会では、GPクラスが新設された。このとき、GPクラスでトップフィニッシュしたブライス・ロペスにミスブイの判定が下され、一時は竹野下の優勝と発表されたが、ロペスの抗議によりジャッジが覆り、竹野下にとって、幻の世界タイトルとなった。

2008年/42歳(所属/フォートマイヤース FR)

JJSF Pro スキー 800SLTDクラス 1位
ワールドファイナル GP SKIクラス 11位
ワールドファイナル Pro SKI OPENクラス 8位

2009年/43歳(所属/フォートマイヤース FR)

JJSF Pro スキー 800SLTDクラス 12位
タイ国 ナショナルシリーズ 1位
ワールドファイナル GP SKIクラス 20位
ワールドファイナル Pro SKI OPENクラス 14位

2010年/44歳(所属/GWF Racing)

JJSF PRO スキー 800SLTDクラス 1位
ワールドファイナル Pro SKI OPENクラス 15位

2011年/45歳(所属/GWF Racing)

JJSF Pro スキークラス 13位
ワールドファイナル Pro SKI OPENクラス 4位
ワールドファイナル GP RUNABOUTクラス 4位

2009年は、タイのナショナルシリーズ戦に参戦し、チャンピオンとなっていた。

2012年/46歳(所属/マリンメカニック)

JJSF Pro スキークラス 1位
JJSF Pro ランナバウトクラス 1位
ワールドファイナル Pro RUNABOUTクラス 3位
全日本選手権史上初、スキー、ランナバウトクラスで2冠達成。

2013年/47歳(所属/マリンメカニック)

JJSF Pro スキークラス 4位
JJSF Pro ランナバウトクラス 4位
ワールドファイナル Pro RUNABOUTクラス 3位

2014年/48歳(所属/マリンメカニック)

JJSF Pro ランナバウトクラス 5位
ワールドファイナル Pro RUNABOUTクラス 11位

2015年/49歳(所属/マリンメカニック)

JJSF Pro スキークラス 1位

2012年は、プロスキークラス、プロランナバウトクラスの2カテゴリーを制し、JJSF史上、初の最上位クラス2冠を獲得。

2016年/50歳(所属/UME 700)

JJSF Pro スキークラス 1位

2017年/51歳(所属/UME 700)

JJSF Pro スキー OPENクラス 4位

2018年/52歳(所属/マリンメカニック)

JJSF Pro スキー OPENクラス 1位

2019年/53歳(所属/マリンメカニック)

JJSF Pro スキー OPENクラス 1位

50歳を過ぎても、走りにまるで衰えを感じさせない。



いまだ、道の途中 KINGの現在

KING竹野下正治・特別インタビュー

WJS 竹野下プロは現在51歳ですが、レースを始めた当初は、こんなに長く続けると思っていましたか?
竹野下 20代後半のとき、仲間と「40歳のチャンピオンになりたいね」って話はしていました。「40歳でチャンピオンになれたら、カッコいいね」って。当時、現役のプロは全員若くて、40歳になったらプロでは走れないだろうなって思ってたから……。普通のスポーツ選手で40って言ったら、もう終わってるでしょう。

WJS でも、40歳どころか50歳でチャンピオンになってますよね。
竹野下 はい。良かった(笑)。

WJS 1989年にレースに出場し始めてから、ずっと「速い」と言われ続けていました。そのなかでも、「一番速かった」と皆が口を揃えて言う1990年代は、実はチャンピオンを2回しか撮っていないのですよね?
竹野下 そのころの僕の呼び名は、「無冠の帝王」でした。競ってる相手もいないのに、ゴールの数メートル手前で吹っ飛んだりして。「なんでそんなにアクセルを握り倒す必要があるの? 馬鹿か?」って良く言われた。でも、全然気にならなかったんですよ。無冠の帝王って結構好きだった。カッコいいなと思ってましたもん。あのころは……。

WJS 2003年にアメリカツアーから帰って来たころから、結果にもこだわるようになった気がするのですが?
竹野下 うーん。いつの間にかそうなっとるね。若いときは、タイトルもクソも「自分が一番速いに決まっとる」って思ってた。タイトルなんてなくても、「俺が一番」と思えたし、自信もあった。でも、知らず知らずのうちに、「タイトルを取らなきゃ、認めてもらえんのでは?」と、思うようになったのかもしれない。

WJS そう思ってからの竹野下プロは強かったですね。スキークラスのタイトルを取っていない年は、違う国のナショナル戦でチャンピオンになっていたり、ランナバウトクラスに出て勝っていたりしましたよね。
竹野下 確かに、結果にこだわるという部分が強くなったかもしれないね。

若いころは、「自分が一番速いに決まっている」と思い、タイトルには執着しなかったという。


「水の上のことは、水の上で返す」
それは、圧倒的な速さで相手をブチ抜くということ

WJS 竹野下プロの昔のレースのエピソードで、レース中に竹野下プロが吹っ飛び、泳いでいるなか、離れて浮かんでいるマシンにわざとぶつかって壊していったレーサーがいたとか、アメリカのレースでは、ログジャンプで転倒して浮いている竹野下プロの背中に、有名なトップライダーが突っ込んできて、寝込む羽目になったとかいう話を聞いたことがあります。
竹野下 そういうのもありましたね。

WJS そのたびに、チーム関係者やチームメイトが怒って、相手に文句を言いに行こうとすると、あなたが「水の上のことは、水の上で返します」と言ったそうですね。でも、あなたのレースを10年以上も見てきましたが、故意に人を傷つけるような場面を見たことがありません。
竹野下 そんなこと、自分は絶対にできないです。今のマシンだと、簡単に人が死にます。「水の上のことは水の上で返す」というのは、圧倒的な速さで相手をブチ抜くということ。それが、「仕返し」だと思ってますから。

WJS 今、カワサキの4ストロークスタンドアップSX-Rをはじめ、コマンダーGP1、プロフォースなど、新しいマシンが台頭しています。それについてはどう思いますか?
竹野下 大歓迎ですね。どんどん新しい速いマシンが出てきてほしい。ワクワクします。コンストラクターは、どんどんマシンを速くしてくる。ライダーはそれを乗りこなせるようにトレーニングを頑張る。速いマシンに乗ることが、レーサーの憧れですから。

WJS 竹野下プロは、ここ数年、国内で圧倒的な強さを発揮していますが、現状で満足していますか?
竹野下 うーん……。全然、満足してない。ライディングを極めたと思えないし、まだまだ速く走らせる方法はいっぱいある。自分が全部できているとは、全然思えないから。

WJS 40歳でチャンピオンを獲得したとき、「10年後、まだ速くなりますか?」と聞いたことがあります。そのとき、「絶対、まだまだ速くなる」と答えてくれました。今、また同じ質問をさせていただきます。10年後の竹野下プロは、まだ速くなりますか?
竹野下 マシンが進化しても、そのマシンをねじ伏せて、速く走らせられるライダーでありたい。今はまだ、体力の衰えを感じたことがない。まだまだ速くなりますよ。

まだ、進化する伸びしろがあると竹野下は言う。


この先も、進化し続ける竹野下プロを見続けていたい

数年前、竹野下プロに関する記事のなかで「神様は、その人に内緒で1つだけ素晴らしい才能を与えており、彼に与えられた“才能”は、“ジェットに乗ること”だと確信しているし、そうであってほしい」と書いた。素晴らしい才能がいくつも与えられていたら嬉しいが、竹野下プロほどの「才能」なら、ひとつだけでも満足すべきであろうと私は思う。
もし、「人生最後の日、あなたは何をしていたいですか?」と聞かれたら、きっと竹野下プロは「ジェットに乗る」と答えてくれるだろう。

インタビューの最後に、心の底から「もっともっと上手くなりたい。ジェットを極めたい」と言った彼の声が忘れられない。
私と話しているのに、その声は私に向けられていない。今、この場所にいない誰かに訴えるように、「ジェットを極めたと思ったことは1度もない。もっと上手く走らせることができるようになるはずだ」と話す。そんな竹野下プロが、たまらなく素敵だと思った。

これだけ夢中になれるモノに出会えることは、人の一生においてもそうそうない。むしろ、出会えない人のほうが多いだろう。「一念岩をも通す」という諺があるが、彼がこの先、どれだけジェットを極めるのか、見続けていきたい。

彼の戦績や記録を考えれば、すでに「岩をも通した」と言ってもいいだろう。しかし、竹野下本人は、「もっと上手く走らせることができるはずだ」と、高みにいる見えない誰かに向かって、その牙を研いでいる。尊敬と畏怖を込めて、皆が彼を「KING」と呼ぶ理由である。

2019年、国土交通大臣杯を獲得した。


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