(写真・左)2024年 エキスパート SKI クラス・年間チャンピオンに輝いた 21歳の現役大学生「今林 雅哉 」選手、(右)2021年 プロSKI GPクラス ・年間チャンピオン「 佐々木 宏樹 」選手。
今林 雅哉 選手は現在21歳。現役大学生である。
レースを始めた きっかけを聞くと、「 母親が スキークラスのレーサーで、小さい頃から いつもレース会場にいたから 」。
当たり前のように、“レースを するものだ” と 思っていたという。
「 母親から レースを勧められたのですか?」と聞くと、むしろ「 ケガが 心配だから 」と、反対されたそうだ。
九州に住む 今林選手は、片山 司選手を擁する チーム「 ZERO 」に帯同して レース観戦に来ていたので、子どものころから「 ジェットのレース 」を見て育ってきた。
そんな今林選手に、レースに懸ける心意気を聞いてみた。
WJS いつ ジェットの免許を取ったのですか?
今林 16歳で免許を取ったけど、高校時代はバレーボールに夢中でした。
ジェットのことは気になっていたけど、“やりたい”とまでは思いませんでしたし、母親にも「 レースは ダメ 」と 言われていました。
WJS ジェットは いつから始めたのですか?
今林 大学に合格したので、18歳で大阪に引っ越しました。
大学生になって、初めてSX-Rに乗ったら、すごく楽しかったんです。
WJS それからレースに出ることを考えたのですね?
今林 小さいときからレースへの憧れがありました。
それで、ずっと憧れの選手だった「 片山 司 選手 」に 相談したんです。
そのとき片山さんに「 中途半端にやるんなら、やめとけ。お金もかかるし、ケガもする 」と 言われました。
レースをしていても、良いことばかりじゃないし、幸せになれるより 不幸も多い。
そう言う意味だと思います。
でも、その言葉を聞いて「 トコトン 頑張ろう 」。
やる以上は「 プロに 上がりたい 」と 思いました。
WJS 今シーズンはプロクラスへ昇格しますが、将来の目標などはありますか?
今林 将来は、海外でも活躍できるような レーサーになりたいと思っています。
それなので、「 プロクラス 」に上がるのは 当然だと 思っていました。
でも、まわりの人たちからは、昇格が決まったことを 思ったほど喜んでもらえなかった。
むしろ、心配をする声のほうが 多かったのが 不思議でした。
WJS 周囲からは、昇格することを賛成してもらえなかったのですか?
今林 周りに相談すると、チャンピオンになったことは 喜んでくれるのですが、「 プロクラスに 参戦すること 」を、“手放しで”は賛成してくれない。
母からも、「 プロで走るのは まだ“早い”んじゃないか 」って 言われました。
WJS レースを始めて3年で プロクラスを走るのですから、いろいろと心配ですよね。
今林 これは「 ケガうんぬん 」というよりは、僕の“覚悟”の問題です。
今のレース環境では、お金が かかります。
「 プロ 」と言っても、ジェットのレースで 収入が入るわけではありません。
今までのエキスパートクラスとは違い、マシンも格段に高くなります。
僕が苦しむことが増えても、喜ぶことは減るのでは? と、皆が心配してくれるのです。
WJS それでも「 プロクラスに 昇格したい 」と 思ったわけですね。
今林 どうせレースをするのなら、一番レベルの 高い場所で やりたい。
だから、今シーズンに向けて、プロクラスで走れるマシンを購入し、参戦することを決めました。
今シーズンからプロクラスに昇格する 今林選手が選んだのは、FAST POWER SPORTS製「 F1 」である。
世界的なレーサー、ダスティン・モツリス選手が作った「 Made for Racing 」のマシンだ。
FAST POWER SPORTSのマシンといえば、「 GP1 R 」のほうが実績があり 有名だが、あえて「 F1 」を選んだ理由を聞いてみた。
WJS なぜ、実績のある「 GP1 R 」ではなく、「 F1 」を 選んだのですか?
今林 マシンで悩んでいたとき、ちょうど組む前の「 F1 」が FAST POWER SPORTSにあったんです。
そのとき「 GP1 R 」もあって、代表の佐々木宏樹さんから「 興味があるのなら 乗らせてあげる 」と 言ってもらったんです。
それで、乗りに行きました。
噂では「 F1は 曲がらない 」と 聞いていたのですが、僕が乗ったときは 違った。
「 これなら イケる!」と 思ったし、マシンを組むときに リクエストも聞いてくれる と 佐々木さんが 言って下さったので、「 F1 」に 決めました。
でも、いくらマシンがよくても、最終的にはライダーの技量で決まります。
今は 乗りこなせるようになることが、最重要課題で 練習しています。
WJS 初のプロクラス、頑張ってください。
今林 ありがとうございます。とにかく、練習あるのみです。
私も昔 レースに出ていましたから、プロクラスに上がれる 実力を付けてくれたことは、とても 嬉しいです。
でも、一番上のクラスは、マシンに お金もかかるし、ケガも怖い。
レースを始めて3年だから、経験も足りない。
心配することばかりです。
だから、昇格するのは 最初は賛成はしませんでした。
だけど、自分で稼いだバイト代と 貯金を全部はたいて、新しいマシンを 買っていました。
それ以上は反対できないし、出るからには応援しますが、くれぐれも ケガだけは しないでほしいです。
今林選手の取材を終えて感じたことは、「 爽やかさ 」だ。
21歳の好青年で「 夢に向かって 一直線 」という行動力が とても好ましい。
自分の全財産をはたいてレーシングボートを購入するくらい、ジェットに夢中だ。
彼を見ていると、昔の日本のトップライダーたちを思い出す。
まだ、世の中に「 440と550 」しか なかったころ、彼と同じように 生活の全てを ジェットに捧げていた若者が たくさんいた。
そして、「 プロクラスで走る 」ことを 目標にしていた。
しかし、今のレース業界は、周囲の大人たちが こぞって “プロに上がること”を良しとせず、躊躇したり、逡巡するようなアドバイスをしている。
この業界を牽引した 一人でもある レジェンドレーサー・片山 司選手までもが、レースを始めるにあたり「 中途半端にするな 」と 答えているほどだ。
「 プロ 」になることに 難色を示すなんて、クルマやバイクの業界では あまり聞かない話だ。
野球やサッカーにしてもそうだ。
プロ野球を引退しても、“元プロ野球選手”という言葉に ネガティブなイメージはない。
むしろ、「 子供の頃からエースで4番 = 地元のヒーロー 」だと 捉えられる。
そういう話なら「 ジェット 」だって同じはずだ。
他の人では 到達できない技術を 取得して 走っているのだから。
身内から心配されなくなるように。翼を手に入れて 満足そうな今林選手。
では、「 なぜ 祝福されず 心配されるのか?」。
やはり、“お金の問題”が 大きいと思う。
今のレギュレーションでは、マシン作りも ルールに左右される。
それによって、“新たな資金”が 必要になる ケースが多い。
夢中で楽しんで、お金がなくなったら やめれば良い と 考える人も いるだろう。
しかし、なりゆきや環境で、気が付いたときには 大きな借金をしていた というケースも よく聞く。
プロ野球選手は、引退後は「 自分が 食べるために働く 」が、ジェットのレーサーは、引退しても「 過去のレースの“借金返済”のために働く人 」も いる。
業界を良く知りつくしている人たちが、手放しで 若者を 応援できない理由は、そこにある と 思う。
「 プロ 」と名前がついてはいるが、実際に賞金で 生活できない以上、本当の「 プロ 」とは呼べない。
我々大人たちは、これから始める若いライダーが、「 できるだけ お金を 必要としない環境 」を 作っていく必要がある。
今の日本のレース業界では、タイのような 高額な賞金は 出ない。
その賞金をベースに、選手の環境を考えることは 愚かな“考え方”だ。
レースの内容が、一般の人から、「 お金を“払って”でも 見たい 」という コンテンツになって、初めて お金が取れる スポーツ に なる。
その賞金を 選手に還元して、“もっといいレース”を 見せてもらう。
そういった 正常な お金の流れ が できて、初めて「 プロ・スポーツ 」と 呼べるようになるのだろう。
スポンサーも同じで、彼らに出させた金額が、何らかのカタチで 返還される 状況を作らないと、正当で 継続する スポンサーマネーなど、絶対に あてには出来ない。
タイで高額な賞金が支払われる理由は、ドレイク氏が率いるTJSBAというレース団体が、「 お茶の間で 国民が楽しむ娯楽番組(スポーツ・コンテンツ) 」に まで昇華させたからだ。
視聴率の取れる番組に 広告を放映することで、企業にメリットが生まれている。
タイのトヨタや、Gショックで有名な時計のカシオ、国営銀行、大手食品メーカーなどが広告を入れる理由は、タイの国民が その番組を見るからである。
しかし、視聴者はタイ国民、しかも 一生ジェットに乗らない可能性の高い人々なのである。
もし、日本のジェットのレースで、1回限りの単発でBIGマネーの賞金が支払われたら、「 半グレが 自慢したくて出した 」と 考えた方が良い。
これからレースを始める若者が、「 “借金地獄”に落ちるのではないか 」という心配を 早急に払拭できないと、レース業界に未来はない。
メーカーが資金を出しても報われるという好循環に
今林選手の特集ではあるが、本誌の真意としては「 レース業界の 明日について 」である。
理由は“正しい”答えは、「 歴史が 教えてくれる 」と 信じているからだ。
アメリカでは1996年~1998年の 3年間だけ、「レースの勝敗が、市販艇の“売れ行き”に 大きく影響する」とメーカーが考えていた時期があった。
アメリカでランナバウトのレースが初めて開催されたのが、1993年である。
新しいカテゴリーの初年度は「 エキスパート・クラス 」しかなく、開催日もメインの日曜日ではなく、前日の土曜日で観客も少なかった。
2年目の1994年になると、ランナバウトクラスもプロクラスができ、日曜日に開催されるようになった。
当然、「 ジェットレースの雄 」である USチーム・カワサキは、メーカーの威信にかけて 他メーカーのジェットがタイトルを獲得することは許せなかった。
そのため、1994年のファクトリーライダーとして、スキークラスのスーパースターだったビクター・シェルドン選手と、金森 稔選手を メインライダーに据えてレースに挑んだ。
古い読者なら覚えていると思うが、プロクラス 開設 1年目の1994年、ランナバウトクラスでのワールドチャンピオンに輝いたのは金森選手だった。
金森選手自身も、初めての 世界タイトルである。
翌1995年も、2年連続で 金森選手がタイトルを獲得した。
そして、問題の1996年である。
カワサキが2年連続でランナバウトクラスのタイトルを獲得したことで、「 ヤマハ と シードゥ 」にも 火がついた。
ちなみに 全米選手権は 1981年に始まったが、1994年に クリス・マックルゲージ選手が ヤマハのスーパージェットに乗ってワールドチャンピオンを獲得するまで、13年間、「 メインクラス 」は カワサキ以外のマシンが 勝ったことがなかった。
メインレース以外のクラス、例えば スポーツクラスは「 ヤマハ・TZ 」や「 シードゥ・HX 」が 競っていた。
だからこそ、カワサキの独壇場である「 プロスキークラス 」で ヤマハが勝ったことで、「 歴史が 動いた 」と 感じる人も多かった。
それくらい、「 レース = 440/550(カワサキ)」だったのだ。
世の中のマーケットシェアも、それまでのスタンドアップ優位から、「 95%以上 」が ランナバウトになってきていた。
ここに来て、ヤマハとシードゥが レースに対して 本腰を入れてきた。
ファクトリーチームを作り、ランナバウトクラスの戦いに 名乗りを上げたのだ。
ヤマハは、クリス・マックルゲージ選手をエースに、シードゥはクリス・フィッシュティ選手をメインライダーに据えた。
そのころ、ヤマハは スポーツクラスや スキークラスで結果を出してきたし、シードゥも スポーツクラスで一世を風靡していた。
カワサキほどではないにしろ、ライダーに間接的な支援は行っていたのだ。
1996年、シードゥの本気度を示すエピソードがある。
全米ツアーの歴史の中で、初めて 開幕 第1戦 の 開催場所が、カナダ・ケベック州となった。
ちなみに、シードゥの本社もカナダのケベック州にある。
これだけでも、どれほどシードゥがレースに力を入れていたか分かるだろう。
この年のランナバウトクラスを制したのは、シードゥが擁する「 クリス・フィッシュティ選手 」だった。
ここに、カワサキ、ヤマハ、シードゥの3メーカーによる「 ランナバウトクラス 」での 戦いの火ぶたが切って落とされた。
当然、レースを運営するには莫大な資金が必要となる。
レース団体は、それをメインスポンサーや、メーカーからの費用等で賄っていた。
本気になったメーカー各社は、潤沢な費用をつぎ込み、スター選手を次々と自陣へと引き込んでいく。
水面から上のアッパーハルは、純正ノーマルの船体だが、見えないアンダーハルは、各メーカーのオリジナル。
マシンの開発競争が始まり、「 メーカーの ファクトリーチームでなければ、勝負の土俵にも上がれない 」といわれるほど、マシンの改造費も跳ね上がっていった。
プライベートで参加する選手と、メーカーファクトリーライダーの差が広がり続け、結果的に競技人口が減少していったのだ。
このころ、全米でスタンドアップの販売シェアが3%を切っていたことも、ランナバウト一辺倒の流れに拍車をかけたのだろう。
ランナバウトに乗るレーサーには高額の契約金が支払われたが、スタンドアップの選手には そこまでのフィーが出なかったことからも、それが分かる。
それくらい、メーカーは「 スタンドアップ 」で勝つことを 重要視しなくなっていたのだった。
この“メーカー同士の戦い”から 最初に降りたのは、シードゥだった。
面白いのは、ランナバウトの販売台数がトップだったシードゥが、最も“レースの結果”を軽視したように見えたことである。
1997年に起きた「 最大の悲劇 」であり「 最悪の事実 」は、バドワイザーがメインスポンサーから降り、さらにテレビ放映が消えたことだ。
それまで、「 スタンドアップ 」の レースをメインに放映していた 全米のメディアが、ランナバウトがメインになったことで 放映を取りやめたのである。
メーカーが資金を投入したことで 選手も レース団体も 潤ったのと相反するように、メディアが離れたことで、“一般のファン”が 離れてしまった。
一般の人は「 自分が見たいレース 」を見る。
そして、一定数以上の視聴者がいる限り、メディアは離れない。
面白ければ 自腹を切ってでも放映するが、それをしなかったということは、もはや ランナバウトがメインの「 ジェットのレース 」では、視聴率が取れないと判断されたのだ。
メーカー同士の“加熱する競争”の2年後、シードゥがレースから撤退し、翌年にはヤマハも撤退を決めた。
大口のスポンサーとして、カワサキだけが残った。
放映してくれるメディアを探し、「 オフショア(海)でのレース 」という条件で テレビ放映を行ったが、それも わずか2年で終わりを告げる。
その後、2005年に クエーキーセンスがメインスポンサーとして契約するまで、IJSBA(全米のレース団体)は 厳しい“冬の時代”を過ごすことになるのだった。
ジェットのレースが始まって以来、最大のスーパースターといえば、間違いなく「ジェフ・ジェイコブス」である。
彼だけは、他のトップライダーたちが ランバウトクラスに転向しても、「 スキークラス 」で 戦うことに こだわり続けた。
当然、彼ほどのライダーなら、メーカーからのオファーも 多かっただろう。
しかし、スタンドアップのレース“だけ”に出続けた理由を聞くと、納得の答えが返ってきた。
「 僕がNBA(バスケットボール)を観戦するのは、“想像を絶する超人たち”が戦っている姿を見たいからだ。
ジェットも同じだ。
ハードなトレーニングを積まず、ビールをたくさん飲んできたような人が勝てるようなクラスで走っても、人々の称賛や尊敬は得られない。
ランナバウトに転向する選手を見てごらん。
スタンドアップではもう勝てない選手か、はなから勝ち目のない選手しかいないだろう 」。
もし、“僕が座っているところ”を見たければ、家に来て、ソファーでくつろいでいる姿を見てくれ」。
結果的にアメリカのレースは、ジェフ・ジェイコブス選手の言う通りになってしまった。
我々は、過去のレースからさまざまなことを学んできたはずだ。
過去の経験から「 メーカーの販売促進 」に繋がるレースであれば、ジェットを販売するお店も 協力できるから、皆で盛り上げていける。
それが、スタンドアップ時代のレースだったはずだ。
しかし、現在のようにジェットショップにとっても、メーカーにとっても、「 販売促進に繋がらない 」状況が続けば、明日はない。
健全な発展とは、「 レースがあることで、ジェットが 売れる 」。
これに尽きる。
ユーザーは、レースに出るためにジェットを買い、ジェットが売れれば、当然、ウェットスーツや 周辺機材も売れる。
そんなレースをしてくれる団体になら、業界関係者は喜んで資金を提供してくれるはずだ。
自動車業界で、クルマのレースに資金を投入しない大手メーカーはない。
大富豪が、何の見返りも求めず資金を出すことはない。
むしろ、「ケチ」と言われても無駄金は一銭たりとも使わない。
だからこそ、「大富豪」を 続けていられるのだ。
レース関係者の方々は、日々さまざまな業務に追われて大変な思いをしていると思う。
しかし、基本原則となる「 レースがあることで ジェットが売れる 」ことを、常に念頭に置いてほしい。
レースを始めて「 10年後に、一体、いくらかかるか分からない 」というような状況だけは、みんなの力で 変えていく必要がある。
写真左から、2位・多田 道継選手、1位・今林 雅哉、3位・北田 誠選手。
順位 | ライダー名(チーム名) |
---|---|
1位 | 今林 雅哉(ZERO) |
2位 | 多田 道継(TEAM TECHNO PRO) |
3位 | 北田 誠(Force Racing) |
4位 | 森 茂(TEAM M.P.S) |
5位 | 中島 正晴(Force Racing) |
6位 | 奈良井 好典(KHK Racing) |
7位 | 杉森 守(Racing MOTOINE) |
8位 | 阿部 文樹(TEAM EAST JAPAN) |
9位 | 三宅 貴之(Racing MOTOINE) |
総合 2位 多田 道継 選手。
総合3位 阿部 文樹 選手。
総合4位 森 茂 選手。
総合5位 奈良井 好典 選手。
順位 | ライダー名(チーム名) |
---|---|
1位 | 杉森 守(Racing MOTOINE) |
2位 | 多田 道継(TEAM TECHNO PRO) |
3位 | 阿部 文樹(TEAM EAST JAPAN) |
4位 | 森 茂(TEAM M.P.S) |
5位 | 奈良井 好典(KHK Racing) |
総合 2位 今林 雅哉 選手。
嬉しそうな 今林 雅哉 選手。
総合3位 多田 道継 選手。
総合4位 杉森 守 選手。
総合5位 奈良井 好典 選手。
順位 | ライダー名(チーム名) |
---|---|
1位 | 北田 誠(Force Racing) |
2位 | 今林 雅哉(ZERO) |
3位 | 多田 道継(TEAM TECHNO PRO) |
4位 | 杉森 守(Racing MOTOINE) |
5位 | 奈良井 好典(KHK Racing) |
総合 2位 多田 道継 選手。
総合3位 奈良井 好典 選手。
順位 | ライダー名(チーム名) |
---|---|
1位 | 今林 雅哉(ZERO) |
2位 | 多田 道継(TEAM TECHNO PRO) |
3位 | 奈良井 好典(KHK Racing) |
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