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SPARKのみが出場できるレースで、1番になったレーサーの物語 その3

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2018年「SPARKクラス」シリーズチャンピオン・大岡嗣典選手。

「SPARKクラス」とは?

JJSF全日本選手権シリーズのレースカテゴリー「SPARKクラス」、2018年のシリーズチャンピオン・大岡嗣典選手の特集です。「SPARKクラス」は、メーカー(BRP)が主催するレースで、改造範囲が狭く、マシンの差があまり出ないカテゴリーです。

レースに全く興味がないとおっしゃる方でも、誰にでも共感できる内容となっています。今回は、3回目です。

前回までのあらすじ

大岡選手は、独自のレース人生を突き進んできました。

ジェットスキーを始めた当初、女の子をナンパして、楽しい青春を送っていました。1996年のある日、江の島で行われたレースを見て、「俺、スゲー、ダサいな」と衝撃を受け、ナンパをやめ、そのまま、レースの世界に飛び込んだのです。

最初は「シードゥHX」という機種でレースに出ていたのですが、最上位クラスに上がるとき『「ランナバウト800クラス」に出ないか?』と言われ、「シードゥSPX」に乗り換え、「ランナバウト800クラス」に出ることを決めたのでした。今回は、「ランナバウト800時代」の話です。

Rider/大岡嗣典(おおおか・つぐのり)
2007年~2011年まで、Runabout 800クラスで5連覇を達成。このクラスで、通算6度の優勝を手にしている。2017年のシリーズ途中から、SPARKクラスに転向。2018年、同クラスのタイトルを獲得した。1965年11月生まれ、53歳。RACING FACTORY UNION所属。

貧乏人の意地じゃないけど「このクラスに残ります」って、
「ランナバウト800クラス」に残ることを決めました

WJS ランナバウト800クラスに出ていたのは、何年ごろからですか?
大岡 2000年くらいじゃないかな。

WJS HXでA級に上がって、1年走ってランナバウト800に転向したわけですね。成績はどうだったんですか?
大岡 ボロボロでした。激戦区でした。まだ、中野剛人君(2006年プロランナバウトクラス全日本チャンピオン)のいた時代だったんで。

WJS そのとき、マシンはどうしていたのですか?
大岡 レジャーさんから、「いらないから、買わない?」って言われて買いました。

WJS そこから、ずっとランナバウト800クラスですか?
大岡 ずっとです。プロクラスができて、ランナバウト1200に砂盃(肇)選手とかが行って、800ランナが衰退していって、正直なところ、どうしようかなって考えていました。でも、800ランナだけは、どうしても意地があった。貧乏人の意地じゃないですけど、あのクラス、あの時代からお金がかかったから。

WJS お金をかけたうえに、クラスを転向したら、またイチからお金をかけないといけないということですか?
大岡 はい。それで借金してやめていくライダーさんをいっぱい見てきましたから。だから、「このクラスに残ります」って。

WJS それが2004年ごろですか?
大岡 そうですね。一挙に皆、消えていったころです。

WJS 大岡さんが、初めてランナバウト800クラスでチャンピオンを取ったのはいつですか?
大岡 2007年かな? 腕のある人たちが、皆、上のクラスに行ってしまったんで、必然的にチャンピオンが取れるようになっちゃいました。

WJS 中野剛人プロや砂盃肇プロがいたころは、取れなかったんですか?
大岡 取れない、取れないです。もう。8番、9番あたりをウロウロしていました。

WJS それはマシンもライダーの腕も、両方足りなかったということですか?
大岡 全てですね。

WJS ランナバウト800クラスのころ、大岡選手といえば、レース会場でずっとマシンを直していたイメージがあります。
大岡 そうですね。サラリーマンの限られた給料のなかで、新しいパーツを経費で買えるわけもない。全部、自腹なんで。中古の部品なんかが多いですよね。壊れるんです。

WJS でも、何年も連続でタイトルを取っていましたよね?
大岡 当然ながら、ずっとやっているわけですし、だんだんやり方も分かってきます。多分、全部で5、6回は1位を取っていると思います。


海外レースに出場するようになったきっかけ

WJS それは、本当にすごいと思います。それで、どうしてタイのレースに行くようになったのですか? 大岡さんのなかで、「国内に相手がいないから」というのがあったのですか?
大岡 そうですね。日本は1位が取れているから、もういいや。じゃあ、次、どこに行こうかっていうときに、DASAの本田(幸夫)さんが「タイに行こうよ。すごい盛り上がっているよ」っていうのが、キングスカップの始まりです。

WJS それは何年前ですか?
大岡 2006年だから、もう12年くらい前だと思います。

WJS そのとき、タイに行ってどうでしたか?
大岡 一緒に行ったのが、英語をしゃべれない人たちばっかりだったんで、レースをやりに来たんだか、通訳をやっているんだか、コーディネーターをやっているんだか分かんなくなっちゃって、もうボロボロになりましたね。

WJS 大岡さんは、実に流暢に英語をしゃべりますよね?
大岡 僕、帰国子女なんです。小学校までは、ずっと海外だったんです。オーストラリアのシドニーとメルボルン、フィリピンのマニラにいました。

WJS そうすると、逆に、日本に帰ってきたとき、困りませんでしたか?
大岡 日本に帰ってきたのが、小6の終わりくらい。日本語が片言で、相当いじめられました。時代的には、ウルトラマンとか、仮面ライダーを全然知らないんですよ。

WJS 2006年から、毎年、タイに行くようになったのですね? キングスカップでの最高位は何位ですか?
大岡 5位が2回だけですね。

WJS これだけ日本でチャンピオンを取っていて、タイでは5位が2回。タイはレベルが高いんですね?
大岡 レベルもそうですし、全てが上回っている。やっぱり上手いですよね。

WJS マシンも速いですか?
大岡 全然速いです。どっからでも抜かれます。

―第4回に続く―

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