天気予報では雨となっていた 6月2日、平塚マリーナ(神奈川県平塚市)で、フリースタイル・フリークにおくる スペシャルなイベントが開催された。
今回のイベントは、競技会ではないし、単なる練習の場でもない。
「 撮影会 」という、非常に あいまいな目的ながら、「 フリースタイル の 火を消さない!」という "強い思い" のもと、北は 北海道の稚内から、南は京都・大阪まで、計15名 の フリースタイラーが集まってくれた。
彼らの合言葉は「 俺たちは 絶対に、フリースタイルを 諦めない!」だ。
ハッキリ言って 今回のイベント、ヤバいくらいに面白かった。
大会と違って、各人の制限時間はなし。
自分が “撮ってほしい 得意技” を やってくれるのだ。
大会だと、皆が“同じ技” をやる。理由は「点数が入る」からだ。
そうなると、見ているオーディエンスは必ず飽きるし、極端な話、「1位だけ」を見れば良いことになる。
しかし、今回のイベントは違う。
昔ながら の フリースタイル職人の技と、現代 の ハイパワーマシン・エアリアルトリックが、同時に楽しめるのだ。
そんなフリースタイル・イベントなんて、今までなかった。
フリースタイル技の バリエーションが多いコトが、こんなに楽しいなんて、久しぶりに感激した!
そして、贅沢な時間を過ごしたのである。
最初の撮影は、村尾 高明 選手 だ。
彼に最初に行ってもらった理由は、「 プロの ショーマン 」だからだ。
世界的なアミューズメントパークで、ジェットのショーをしていただけあって、大勢のギャラリーの前での演技はお手のもの。
ましてや今回の撮影会は、身内同然のフリースタイラーの集まりだ。緊張するはずもない。
そして、ギャラリーが多いほど、"魅せて"くれる。
この日 彼は期待通りに「 プロ の 演技 」で、ギャラリーを大いに楽しませてくれた。
あまり知られてはいないが、彼は もともと、44/55時代のレーサーだった。
25歳でフリースタイルに転向し、2000年に全日本チャンピオンを獲得、さらにキングスカップでも、フリースタイルのチャンピオンとなっている。
51歳になった今も、550でヴィンテージクラスのレースに出場したり、フリースタイルのショーに出演したりと、まだまだ「進化の途中」である。
「若いときは、緊張して 完璧な演技が出来ないこともありました。でも今は、まず失敗をしなくなった」と語る。
失敗をしなくなった理由は「経験」だという。
場数を踏むことで、「自分自身のこと、観客の思い、すべてが見えてきた」という。
何度も村尾選手の撮影をしているが、口癖のように彼が言う言葉がある。
自分の フリースタイル人生の中で「 今が 1番 上手い 」である。
その言葉を聞くたびに、深く “頷いている” 私がいる。前に見たときよりも、目の前の村尾選手が「一番上手い」と思うからだ。
すでにベテランの域に達している今なお、日々 進化を続けているということだ。
波を制する競技「フリーライド」の日本チャンピオンであり、現在は 「ヴィンテージ550クラス」でレーサーとして活躍している
村尾選手のスゴさとは何か考えてみた。
16歳で始めたジェットを、 51歳になった今でも 「ずっとやり続けていること!」に尽きるだろう。
レース、 フリースタイル、フリーライドと、そのジャンルは多岐にわたる。そして、どの分野でも卓越した才能を見せつけている。
その事実が、彼を 誰にも真似の出来ない 懐の深い選手に成長させたのだろう。
ノーマルのスーパージェットで行う、この完璧で美しいバックフリップを見ていたら、昔を思い出した。
2000年代中盤以降、世の中のフリースタイラーが、こぞってバックフリップにチャレンジした時期があった。
大会でも、ファースト・トリックでバックフリップにチャレンジし、フロントから水に突き刺さってから、次の技に向かうという「 不思議なルーティン 」が定番となっていた時代があった。
当時は、現代の超軽量エアリアル・マシンはなく、重い船体でバックフリップを行っていたので、当然、高さも出ないし、勢いもなかった。フルボトムで着水できる選手のほうが少なかったのだ。
今回、村尾選手が見せてくれたのは、当時の「重いスーパージェット」によるバックフリップである。
素人が見ても、とても回り切れるようには思えない。
それをやすやすとやってのけるのは、ひとえに「乗り手の技量」としか言いようがない。自分が作った引き波をジャンプ台にし、完璧なタイミングと体勢で飛び出したときに、フルボトムの着水が出来るのだ。
村尾選手は、全ての技が抜群に上手い。純正ノーマル の スーパージェット の演技が、人の心を打つ。
面白いことに、非力で 重いマシンを、「意のまま」に操る すごさは、初めて フリースタイルを 見る人にも 理解できるのだ。
基本に忠実に、練習を重ねていなければ、古い船体でパーフェクトなトリックは成功しない。
2番目に登場したのは、濱中直也選手。
濱中選手は、2018年のフリースタイル全日本チャンピオンである。
16歳でフリースタイルを始めて、現在35歳。フリースタイル歴19年のベテランで、人生の半分以上をフリースタイルに捧げている。
濱中選手がフリースタイルを始めた2005年といえば、ちょうど「パワーフリースタイル」に時代が移行したころだ。
当然、濱中選手の得意技は「エアリアルトリック」。しかも、“とびきり特大の” と注釈が付くほど、高い空中技を繰り出す。
この日も、特大のバックフリップと、絶え間なく繰り出されるマシンガンエアリアルトリックで、ギャラリーを魅了したのだった。
以前、濱中選手に 聞いたことがある。
「 今、フリースタイルに 必要なものは 何だと思いますか? 」と。
彼の答えは「 今、僕が選手として やらなければ いけないのは “ フリースタイル の 知名度を上げる ”ことだと思っています 」と キッパリと 答えてくれた。
問題は、「 お金が かかりすぎること 」だという。
濱中選手曰く「 16歳から始めて、家が 1軒 建つくらいは使ってます。大会に出るために、アメリカに行ったりもしています。まさに “ジェットのために働いている” 状態。
給料が振り込まれても、全部そっちに行く。
18歳で、わけも分からないうちに 何百万もローン組んでいましたから(笑)」。
しかし、世界の頂点に立っても、そこに行くまでにかけた金額は、到底 回収できない。
選手として、ビジネスに繋がらないから、フリースタイルが衰退しているのだと分析する。
現代のフリースタイルは、「 マシンがなければ 戦えない 」時代だ。
2000年代前半までのフリースタイルは、「 ライダーのスキル が 6、7割、マシン 4、3割 で 十分に戦えた 」と言う。
しかし今は、“マシンありき”だ。
フリースタイルが“上手く”機能していた時代は、マシンの循環システムができていた。
例えば、濱中選手が500万円で新しいマシンを造っても、1年後に350万円で買ってくれる人がいた。
それを元手にして、次の新しいマシンを作ることができた。
だが今は、肝心の「 マシンを 買ってくれる人 」がいないので、新しいマシンを 造ることもできないというのだ。
【関連記事】
【関連記事】
この夏、水辺で遊ぶなら「 水上バイク 」が“最高”だ! 悪質なユーザーの排除が急務となっている今、楽しく遊ぶには、優良な ショップで購入!
『 ドキュメント・ フリースタイル 』 家が買えるほど、金を使ったのに…演技を見せる場所がない、横須賀で宙を舞った、「 ああ、悲しき 3人の トップ フリースタイラーたち! 」 岡本 輝正、濱中 直也、福田 憲男 、Special interview
フリースタイラーが語る「フリースタイルの楽しさ」とは? 「岡本輝正選手」「林 久貴選手」「西村秀樹選手」「松永貴宏選手」「坂井田和明選手」
レジェンド フリースタイラーが語る「フリースタイルの楽しさ」とは? 「村尾高明氏」「大塚裕之氏」「本田幸夫氏」「花井眞二氏」
2024年 ヤマハ Wave Runner(ウェーブブランナー)ニューモデル 国内 全モデル ラインナップ
2024年 BRP SEA-DOO(シードゥ)ニューモデル 国内 全モデル ラインナップ
2024年 カワサキ ジェット スキー ニューモデル 国内 全モデル ラインナップ