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『 ドキュメント・ フリースタイル 』 家が買えるほど、金を使ったのに…演技を見せる場所がない、横須賀で宙を舞った、「 ああ、悲しき 3人の トップ フリースタイラーたち! 」 岡本 輝正、濱中 直也、福田 憲男 、Special interview

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藤澤 正雄・世界タイトルまで 挑戦の軌跡

  1. 1999年 優勝 エリック・マローン、4位 藤澤正雄
  2. 2000年 優勝 エリック・マローン、圏外 藤澤正雄
  3. 2001年 優勝 アレッサンダー・レンジ、3位 藤澤正雄
  4. 2002年 優勝 エリック・マローン、2位 藤澤正雄
  5. 2003年 優勝 藤澤正雄、2位 エリック・マローン



フリースタイル繁栄衰退、すべては「 あの日 」から始まった

2003: The first Japanese world champion was born.

「 MAX・藤澤 」の出現。アメリカのスーパースターは、なぜ道を踏み外したのか

「 フリースタイル 」という競技が、国内で 衰退し始めたのは いつからだろう。

2000年前後には、エントリー数は 100人を超え、全日本の大会は いつも大盛況だった。

レベルも高く、予選敗退は当たり前。一生懸命練習しても、準決勝までが関の山。決勝に残れるのは、一握りのトップ フリースタイラー だけだった。

そのなかで 国内の頂点に 立っていたのが、藤澤 “MAX” 正雄 選手である。

彼は、当時のフリースタイラーなら 誰もが憧れた、高くて美しい バレルロール「藤澤バレル」を 武器に、チャンピオンの 座に 君臨していた。

国内のフリースタイル大会は「 バレルロール 大会 」と 揶揄されるほど、バレルロールという技が、一世を風靡していた頃だ。

このころから フリースタイル競技が、「 エアリアル トリック 」でなければ “勝てない” という 風潮に なってきたのも事実である。

しかし、まだバレルロールができる選手は ごく一部で、伝統的な寝技や バックライド や バックピョンピョン、モンキージャンプ など、オーソドックスで バラエティーに富んだ トリックで、表彰台に立つ 選手も多かった。

マシンも、スーパージェットベース だけでなく、X-2 や FX など、自身の 技に あったもの に乗っていた。



「フリースタイル」という競技が、一夜にして変わった。歴史に残る「 あの日 」

フリースタイル競技の“ターニングポイント”は、間違いなく 2003年である。

この年のワールドファイナルで、「 MAX 藤澤 選手 」 が、日本人で初めて、世界タイトルを 獲得したことに起因している。

その大会で彼は、アメリカの常勝チャンピオン、エリック・マローン選手を同点決勝の末、プレーオフで下したのだ。

そのとき、マローン選手の何かを“狂わせた”。

翌2004年、マローン選手はワールドファイナルで「 桁外れの フリースタイル演技 」を 見せた。

ファーストトリックは、「 静止状態からの 2連続 バレルロール 」だった。

ひき波を 全く使わない バレルロールは、2回転目も 完璧に 船底から着水した。

この後も、バレルロール や バックフリップ などの 大技を交えた トリックを 次々繰り出して、ギャラリーを 熱狂させた。

この演技後、マローン選手が 使ったマシンが 大問題となったのだ。

当時の レギュレーションでは、エンジンの 総排気量は 1,000cc以下、エンジンと船体は 同一メーカーの ものでなくては ならなかった。

インスペクション・チェックの結果、マローン選手のエンジンは1,000ccを超えていることが発覚し、“記録的”には レギュレーション違反により 失格となった。

パワーフリースタイルの扉を開けた2004年のエリック・マローン選手の超絶 バレルロール!

観客も選手も“パワーの味”を 知ってしまった

しかし、観客も 他のフリースタイラーも「 1,000cc を 超える モンスター・マシンによる スーパートリック 」の 驚異的な“高さ”を 目撃してしまった。

そこからは、岩が 転げ落ちるように、個人の“技を磨く”のではなく、皆が「 マシン開発 」へと突き進んでいくことになる。

一度開いてしまった「 パワーフリースタイルの扉 」は、もう 戻ることは できない。

それ以前の演技では、ギャラリーも フリースタイラー本人も 満足しないからだ。

それからわずか20年で、フリースタイル マシンは 飛躍的に 進化した。

現在、バックフリップ や バレルロールは「 ダブル 」でないと 勝てない時代となった。

選手の スキルが 勝敗を決する時代から、「 勝てるマシン 」がなければ、勝負の土俵にすら 上がれなくなっていた。


今年、国内の 公式戦が なくなった

フリースタイルはもともと、レースの合間の 昼休みの余興から 始まった。

トップレーサーたちが ファンサービスの一環で、 “お遊び”のようにジェットを使って“戯れて”いた。それが、“本職”のフリースタイラーの登場により、技が飛躍的に進化していく。それにつれて、「 レース 」と「 フリースタイル 」は、“別の競技”として扱われるようになっていった。

かつて日本は「 フリースタイル大国 」と いわれ、世界的にも トップレベルの選手が たくさんいた。

しかし、あれほど たくさんいたフリースタイラーが 年々減少し、今年は ついに 国内の 公式戦が消滅するほど、競技人口が 減ってしまったのだ。

現在、国内で活動するフリースタイラーたちの“発表の場”は、何かの フェスティバルやイベントの 余興の ひとつになってしまったのだ。

10月21日に横須賀市・うみかぜ公園で行われたイベント【 Nojimaモール UMIKAZE URBAN MARINE SPORTS FES 2023 】に参加したフリースタイル選手。左から濱中直也選手、岡本輝正選手、福田憲男選手。

家が買える金額をつぎ込む「フリースタイルの“魔力”」

10月21日、神奈川県・横須賀市で開催されたイベントで、プロフリースタイラーの岡本輝正選手、濱中直也選手、福田憲男選手の3 名が、「 フリースタイル バトル 」をする というので、今回、取材に向かった。

「 たった3人だけの バトル 」は競技として成り立つのか? というのが正直な疑問だった。
以前の フリースタイルの 隆盛を知っている身としては、どうしても 現在のフリースタイルは「 終わった感 」が拭えない。

会場に行き、3人に話を聞いたところ、口を揃えて言うのは、「 マシン購入に使った金額は、家が買える金額を 遥かに超えている 」だった。

それだけの金額を使ったのに、発表する場所すら ないなんて。

彼ら3人は当事者なので、私よりも ずっと 嘆き悲しんでいる と 思っていた。

しかし、彼らの話を聞くうちに、どうやら それは 大きな間違いだったことに 気が付いた のである。

3人とも、フリースタイルに可能性を見出し、「 希望 」を持っていたのだ。

「 僕が フリースタイルを ひっくり返します!」 ― 岡本 輝正 選手 スペシャル・インタビュー―

I will save freestyle from crisis and develop it!

WJS 岡本選手は、今年はアメリカの ワールドファイナルは 行かなかったのですか?

岡本 今年、行けば (タイトルが)取れたかな とは思っていました。でも、マシンが 間に合わなくて。

WJS ワールドファイナルに 行くつもりだったのですね?

岡本 行きたかったです。でも、参戦するためのマシンが、間に合わなかった。

フリースタイル・マシンに 乗っているときは"死んでもいい"と思っています!

WJS 今年、国内の大会がなくなり、フリースタイル人口が減っているのを身に染みて感じます。それでも、情熱は衰えないのですね。

岡本 中途半端が嫌なんです。形にして終わりたい。僕、これ(フリースタイル艇)に乗っているときに 死んでもいいかなって 思っている。それが、一番悔いが残らない。諦めたくはありません。自分の名前を 世界へ広めて 終わりたい



高校生で Jリーガー。そして…プロのサッカー選手からの転身

WJS 学生のころから サッカーで名を馳せ、 Jリーグの 大分トリニータに 在籍していた と聞きました。

岡本 はい。高校のときに特待生として大分トリニータと契約して、現役Jリーガーでありながら、大学にも 通わせてもらっていました。

WJS プロサッカー選手なのに、大学にも行けたのですか?

岡本 サッカーの練習中に大ケガを負って、医者から 長期療養の命令が 出たんです。その間、何も出来ないなら、せめて勉強をしたいと考えました。

WJS これから“サッカー人生が輝く”というときに 大ケガですか?

岡本 あのころは、サッカーが自分の全て でした。でも、いつまでも 現役でプレーを続けられない。だから、きちんと大学で 学んでおくほうが、現役のサッカー選手としても、その後の人生にも 大きなプラスになると考えて、大学に行かせてもらいました。

WJS 大学に行って良かったですか?

岡本 今の自分が、こうしてフリースタイルに 真っ直ぐに取り組んで行けるのも、大学での“学び”が あったからです。学校の勉強ですから、狭くて深い学問だけでなく、浅くて広い知識もたくさん学べます。今の人生に 直接的な影響のない 幅広い勉強をする機会なんて、あのときを逃したら、2度となかったと思います。



人生、初の挫折! 大分トリニータを退団

WJS 大分トリニータは、いつ退団されたのですか?

岡本 山梨学院大学に在学中に、「 来季の契約は 更新しない 」と言われました。ケガの療養時間が長くかかり、練習にも参加できていなかったから仕方がないです。

WJS 悔しい辞め方ですね。サッカーに未練はないのですか?

岡本 もう未練がないです。だから、ケガをしてから、今まで1度もサッカーボールを蹴っていません。

WJS J1の選手といえば、全サッカー少年の憧れですよね。そんな人が近くにいたらヒーローです。「 素人に教える 」ということは考えなかったのですか?

岡本 しないです。命がけで やったからこそ、中途半端な気持ちでは、ボールを蹴れない。子供部屋に おもちゃのフワフワのサッカーボールがありますが、遊んであげるときは、手で拾って転がしてます。



フリースタイルの始まりは「 ワールドジェットスポーツマガジン 」

WJS フリースタイルとの「 出会い 」は いつですか?

岡本 大学在学中にレジャーで ランナバウトに乗りました。そのころ、軽い気持ちで ワールドジェットスポーツマガジンを見てました。

WJS 完全なレジャーユーザーが、どうして こんなに 本格的なフリースタイラーになろうと思ったのですか?

岡本 ワールドジェットスポーツマガジンを見ていたら、2012年の世界選手権で「 坂井田 和明 選手 」が 世界チャンピオンになった記事が出てました。本を読んでいて、急に体が 熱くなってきて、「 俺が やるのは コレだ!」って。それが 僕のフリースタイル人生の 始まり です。



自分の努力に対して“絶対的な自信”を持てる稀有な存在

WJS 私は、岡本選手がフリースタイルを始めたばかりで、何にも 技が出来ないころから 大会に出ていたのを覚えています。

岡本 無理して出場して、ケガをしている姿も見られていますね。

WJS あの当時から、岡本選手の“超”がつくほどのポジティブな考え方はスゴい と 思っていました。バレルロールができないのに、「 次の大会までには、完璧にできるようにしてきます 」と言って、実際に成功させている姿も見てきました。

岡本 昔から、僕は「 有言実行 」なんです。自分の言ったことを実現するためになら、誰も見ていなくても 努力ができる。

WJS 話は戻りますが、今年、アメリカの ワールドファイナル・フリースタイルで、15歳の新しいチャンピオンが 誕生しました。実際に、彼の演技を生で見てきた人の話では、「 もう2度と、マーク・ゴメスも 山本汰司も 勝てないだろう。リー・ストーンが引退したのも 彼のせいだ 」と言っていました。岡本選手は 彼の演技を映像で見たそうですが、それでもワールドファイナルに言ったら、自分がタイトルを獲れたと思ったのですね?

岡本 当然です。今年 行っていれば 世界チャンピオンになれたと思います。

WJS そのために、“血の滲む様な 努力”を続けのでしょうね。

岡本 はい。自分は 有言実行ですから。そして今は、「 フリースタイルを、もう1度 盛り上げたい 」と思っていますし、口に出した以上、これは絶対に叶えるつもりです。



僕がヤルことは「フリースタイルの 知名度を上げること」 ― 濱中 直也 選手 スペシャル・インタビュー―

I will “increase the popularity of freestyle”

WJS 濱中選手は、若いころからフリースタイルの大会に出ていますが、フリースタイル歴は何年ですか?

濱中 18歳くらいから始めて、今34歳なんで「 16年 」。まあまあ 長くやってますよね。

WJS 下世話な話ですが、フリースタイルを続ける上で、今までに すごく お金を 使っているのではないですか?

濱中 家が1軒建つくらいは使ってます。大会に出るために、アメリカに行ったりもしていますから。まさに「ジェットのために働いている」。給料が振り込まれても、全部そっちに行く。18歳で、わけも分からないうちに何百万もローン組んでいましたから(笑)。

WJS 今年は国内大会もなくなりましたが、それについていかがですか?

濱中 大会がなくなって、みんな「フリースタイル競技」としてはモチベーションを保つのが難しいんじゃないですか。競技としては楽しい部分があるんですけど、お金がすごくかかる。金銭的に、それに付いていける人と 行けない人がいるし、熱が冷めてしまった というところが大きいと思いますよ。

WJS 濱中選手は、フリースタイルが盛り上がっている時代も経験していると思いますが、どうして ここまで 衰退したと思いますか?

濱中 やっぱり「お金がかかる」っていうところじゃないですか。頂点をとっても、お金をかけた分は回収できない。選手として、ビジネスに繋がらない。使えば使うだけで、回収が難しくなってくるって言うのが現状ですよね。



金がかかり過ぎることが、大問題!

WJS 昔は、そこまでマシンにお金がかからなかったのですね?

濱中 今と比べると安かった。それと、「夢」がありましたよね。

WJS 練習したら、勝てるということですか?

濱中 そう。昔だったら、腕が勝負。ライダーのスキルが6、7割、マシン4、3割とかで十分に戦えた。でも、今はマシンありき。正直、選手としても 今後どうしていいのか 分からないですね。どこを目指していいのか 分からない

WJS 昔は、マシンパワーが劣っていても、その分、技のバリエーションは 多かったように思います。だから、見ていても楽しかったです。でも今は、マシンがなければ戦えない。それが、衰退した一番の原因ですね?

濱中 そうですね。例えば賞金が100万円だったとして、マシンを造るのに500万円かかったらマイナスです。

WJS 昔も、フリースタイルマシンを造るのは、結構、お金がかかりましたよね?

濱中 フリースタイルが“上手く”機能していた時代は、マシンの循環システムができていました。例えば、僕がこのマシンに1年間乗って、売りに出したら、結構いい金額で買ってくれる人がいた。500万で造っても、350万で売れましたから。

WJS 人を魅了する演技が出来たら、そのマシンも高く売れたのですね。

濱中 はい。それを元手にして、世界で戦うための 新しいマシンが造れたんです。でも、今はマシンを買ってくれる人がいないので、新しいマシンを造ることもできません。



今でもフリースタイルを続けている「理由」

WJS キチンと選手にお金が入るようなシステムにするか、もっとマシンを安くするか、何かしらの対策を立てないと、フリースタイルをやる人がいなくなりますね。

濱中 そのとおりだと思います。

WJS ちなみに、濱中選手がフリースタイルをやってきたなかで、一番楽しかったのはいつですか?

濱中 楽しかったのは2015年のハバス。あのころも、徐々にフリースタイルが衰退しているところはあったんですけど、ここまでではなかったですね。ハバスは、メチャメチャ賑やかで派手だった。「ああいうステージで戦いたい」って思わせるものがありましたよね。

WJS 濱中選手が出場したころも、アメリカでも 賞金は 出ていませんよね?

濱中 「ステータス」を求めていました。もともと「 世界チャンピオンを 取りたい 」っていう夢があったんで、そのときは お金を惜しまずに 行けました。でも、ここ数年、ステージが 変わって来た。

WJS どういうことですか?

濱中 現実を知りました。例えば、本当に海外で勝ちたいと思ったら、マシンも「日本用と海外用に作らないといけない」とかですね。でも、世界チャンピオンになりたいし、皆から応援してもらっているので、簡単には辞められない。応援してくれる人がいたからできる。僕一人だったらできていません。だから、目指すところまでやりたいなと思っています。



自分がこれからやるべき フリースタイルの 知名度を上げる 」

WJS もう一度、フリースタイル競技を盛り上げようとは思わないですか?

濱中 先輩たちが取り戻せなかったものを、僕が取り返せるとは思わない(笑)。

WJS 今のスタンスは、エンジョイフリースタイルですか?

濱中 エンジョイです。もう趣味。だからこういうイベント(UMIKAZE URBAN MARINE SPORTS FES 2023)が一番楽しいです。 競技ではなく、今、僕が選手として やらなければ いけないのは「 フリースタイルの 知名度を上げる 」ことだと思っています。これからも、一般の人たちに、「 こういうマシンで、こういう競技も あるんだな 」ということを、知ってもらう活動を やって いかないと いけない と思っています。

「 人が 喜ぶ 姿 」見るときが 一番 嬉しい ― 福田 憲男 選手 スペシャル・インタビュー―

I am happiest when I see people happy.

WJS 福田選手が、フリースタイル始めた きっかけは 何だったのですか?

福田 見てて「 格好いいな 」って。「 よし、俺も 」みたいな感じですね。

WJS フリースタイラー歴も長く、昔の“良かった時代”も ご存じだと思いますが、これほど フリースタイル人口が減る とは 思いましたか?

福田 予想できなくは なかったですね

WJS フリースタイル人口が減る予感があったのですか?

福田 12~14年ぐらい前ですけど、その昔、全日本チャンピオンを取ったことのある選手が 大会に出ないようになった。そのころ、大会の参加人数も 少し減った 記憶があります。そのときに彼が ちらっと言ったんです、「 誰も おれへんようになったら、出ようかなって 思ってる 」って。でも僕は、「 少なくなっても 好きな人は 続けるやろ 」みたいな感覚では いました

WJS 競技人口が減ったほうが、ライバルが少なくていい ということですか? それとも、フリースタイルの火を消さないために 自分が出る という意味合いですかね?

福田 どうですかね。フリースタイルマシンは 2ストロークだし、いつか 終わるじゃないですか。それに代わるものが 出て来なければ、なくなると思います。



今のレベルから落としたくない。だから練習あるのみです

WJS 今年は 国内の大会が なくなりましたが、モチベーションは 下がっていませんか?

福田 モチベーション自体は、そんなに ムチャクチャ 下がった感じはない。でも、もう 僕も53歳なんで、体力的に維持しておきたいという焦りは常にある。「 向上 」するのは、かなり 頑張らないと無理なんで、レベルが 落ちないように だけは しておきたい。

WJS これほど難易度の高い演技をしているわけですから、このレベルを保つのは 大変なのでしょう?

福田 練習あるのみです。競技レベルを維持するために、今も 隔週で 乗っています。ワンタンク程度 乗って、満足いけば それで終わり。でも、大会があったら間違いなく 毎週 乗ります。まわりのレベルも 上がって来ているし、このままだったら 僕は置いていかれる ほうなんで。 エアリアルトリックは、僕の“持ち味”になりつつあったから、それを手放したくないんです。

WJS 確かに、福田選手の高さは、他の人よりも高いです。あれは、才能ですか?

福田 自分では良く分かりませんが、高さもレベルも維持したいとは思っています。

WJS 今でも 大会があったら 出ていますか?

福田 間違いなく出てます。国内でなくても、海外には大会がありますからね。大会がなかったら やめてます。

WJS 福田選手にとって、「 大会 」とは何ですか?

福田 好きでやっている フリースタイルが、皆に評価される、世間に見てもらえる場です。僕は、ギャラリーがいないとダメ。燃えないんです。



「 家1軒 買えるくらい お金を 使ったけど 」僕的には“アリ”だった

WJS トリックも進化しているので、それに合わせたマシンも必要ですよね。フリースタイルを始めてから、今までどれくらい「 お金 」を使っていますか?

福田 家1軒 買えるくらい ちゃいますか。もっともっとって思っていますが、僕だけでは高く飛べないし、“高さ”には ポテンシャルの高いマシンがいるんです。

WJS 正直なところ、今のフリースタイルマシンは高額ですよね。

福田 僕のマシンは、もう“7年落ち”なんでね。家を もう1軒 買うつもりじゃないと、新しいマシンは 買えません。

WJS その金額に驚きます。

福田 なので、マシンも 僕自身も、両方を 大切に維持しながら、できるだけ 長く このレベルが落ちないように 頑張るしか できないですからね。

WJS 家1軒分の金額を つぎ込んでいると 言われてますが、「 フリースタイルを続けていて、よかった 」と思いますか?

福田 「 良かった 」って 言う言葉が 相応しいかどうか 僕には 分からないけれど、「 僕的には “アリ”だった 」と 思っています。



フリースタイルを「 続ける理由 」 と 「 やめられない理由 」

WJS 福田選手は、フリースタイルが一番良かったと思うのは いつごろですか?

福田 僕は遅咲きなんで、自分が上位に行っているときが一番ピークかな。やっている本人は、結果が出ているときが一番楽しい。でも、海外の大会とかに行くと“考え”が 変わりますよ。日本ってモータースポーツが下火ですけど、海外のギャラリーが多い大会で乗るとメチャクチャに楽しいです。

WJS 観客が多いほうが燃えるのですね?

福田 自分のやった技でギャラリーが沸いたときほど、「 やってて よかった!」と 思うことはないですよね。「 人のために 飛ぶ 」みたいな。観客が楽しんでいる姿を見て、自分も喜べる。 タイの大会では、たくさんのギャラリーが いるじゃないですか。あんななかで、大声援をもらえた。涙が出るくらい嬉しかったですね。

WJS 自分の技で 人を喜ばせるのが 楽しいのですね?

福田 そうです。観客は多いほうがいいですけど(笑)。ただ、会場を盛り上がらせようと思ったら、「 すごい技 」や「 高さ 」が必要になってくる。そことの葛藤ですよね。

WJS 失礼ですが、年齢的にも金銭的にも、いつまでフリースタイルの選手を 続けられると思いますか?

福田 正直、サラリーマンには“キツイ”です。金銭面の問題もある。 でも、いつかチャンスがあれば「 世界で 戦える 」と 思っているうちは乗ると思います。数年前、本当は ハバスにも 行くつもりだったんだけど、コロナで行けなくなった。「 海外に 行けてない 」「 一番上に 立ててない 」っていうのが、今 現在も 女々しくやっている 理由なのかもしれません

横須賀 うみかぜ公園 【 Nojimaモール UMIKAZE URBAN MARINE SPORTS FES 2023 】

多くの人々が観戦、3人のフリースタイル・バトルを 楽しんだ!



ギャラリー参加型の新しいフリースタイルバトル

去る2023年10月21日(土)、神奈川県横須賀市のうみかぜ公園 で、【 Nojimaモール UMIKAZE URBAN MARINE SPORTS FES 2023 】が開催された。
このイベントでは、『アクアボードフライングショー』と『フリースタイルバトル』が行われた。
当時の天候は晴れだが、強風と高波で海面が荒れていた。

フリースタイルバトルの出場選手は、日本を代表するフリースタイラー、岡本 輝正選手、濱中 直也選手、福田 憲男選手の3名。「バトル」というだけあって、単なるショーではなく、キチンと順位が付く。しかも、審査員だけでなく、見ていたギャラリーも審査に参加できる「ギャラリー参加型」の大会である。

出走前に3選手とも、『 プライドを懸けて「空を飛ぶ」』と 意気込みを語ってくれた。

福田・濱中・岡本の3選手が 横須賀の海を飛ぶ

トップバッターは福田 憲男選手。福田選手は、高いエアリアルトリックを得意とするベテラン選手。高さを出して観客を魅了した。

2番手に登場した 濱中 直也選手。彼は全日本チャンピオンを獲得している実力者で、フリースタイルのショーイベントにも数多く出演している。ギャラリーを“のせる”のが上手い。

ラストの岡本 輝正選手は、経験こそ前述の2人よりも短いが、「 元Jリーガー 」の高い身体能力で、高くキレのあるエアリアルトリックを見せてくれる。今、日本でも ダブルバックフリップを完璧にこなせる数少ない選手だ。

競技が行われている水面の真後ろには、スケートボートパークがあり、スケーボーキッズたちが 食い入るように、フリースタイル を 目を輝かせながら見てくれていた。

『 ギャラリーが「 自分が 面白い」と思った選手に 投票できる 新しい・審査方法 』

ギャラリーは、選手の演技を見た後、本部テントに設置されたボードに、「グッド」か「エクセレント」にシールを貼っていく。

もちろん、審査員も。

シールの多い選手の得点となるのだが、背が低い子供は 最上段の選手枠には、手が届かない!。これだけは、「 要 」改善の必要アリだ。

小さな子供連れのお父さん・お母さんが、子供に「 すごかったね~ 」と声を掛けながらシールを貼っている姿は、とても微笑ましいものであった。


皆、笑顔が溢れる 良いイベントだった。

「大会GALLERY」 横須賀 うみかぜ公園 【 Nojimaモール UMIKAZE URBAN MARINE SPORTS FES 2023 】

大会を盛り上げた、DJのサコちゃん。

フリースタイラー3人が飛び始めると、スケーボーキッズがギャラリーに変わった。

こんなにキラキラした目で、観戦してくれると、こっちまで嬉しくなってきた。

高く飛べ!って声援。

まだまだフリースタイルには 少年達の"心を"揺さぶれる、パワーがあるのだ!


趣味に使うお金は 惜しくない…!?

この記事のタイトルで、『 家が買えるほど、金を使ったのに…「 ああ、悲しき 3人の トップ フリースタイラーたち! 」』と書いたが、誰 1人として、悲しんだり、後悔している人はいなかった。

人は、それぞれだ。

考えてみたら、趣味というのは そういうモノなのかもしれない。

自分の好きなコトに、好きなだけ 情熱や お金を 注ぎ込める のは 幸せなコトかも しれない。


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