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現在、「 マリンレジャーを取り巻く環境 」に、暗雲が立ち込めている。
それを肌で感じたのが、今年2月に行われた日本マリン事業協会が 主催する 定例記者会見の場だった。
日本マリン事業協会の会長で、ヤマハ発動機取締役会長である 渡部 克明 氏から、マリンを取り巻く現状についての話があった。
その内容が あまりにもシビアなのだ。
今、マリン業界が 直面している「 未曽有の 不況感 」に対する 恐れを 読者の皆様にも 知っていただくことで、より 良い未来に 近づけるように なればいいと 考え、今回、記者会見の 内容を 紹介する。
下の図は、ジェットの販売台数 の「 年別推移 」である。
過去10年間を見ると、2016年の3,431艇をピークに、2025年には1,615艇と、約半分にまで 落ち込んでいる。

ジェットの販売台数が、10年間で 3,414艇 から「 1,816艇も減った 」ことについても 説明があった。
原因のひとつは、「 材料費や 人件費高騰による 販売価格の上昇 」である。
コロナ禍以降、マリン業界だけでなく、日本全国 全ての業種で 年々 値上げが 繰り返されている。
原材料も 上がって 販売価格が 上がって いるのに、給料が 上がらない のだから、以前のように、ジェットを“買う”という 優先順位が 下がっているのだろう。
そして、「 ジェットの イメージ 低下 」も、要因の ひとつであることは 間違いない。
毎年、各社から ニューモデル( 新製品 )が 発表される。
それに伴って、販売価格も 上昇する。
日本では 賃金( 収入 )が 停滞している 一方、アメリカでは 大幅な 上昇が 続いている。
特に ここ10年で アメリカの賃金 は大きく伸び、日米間で 大きな“格差”が 生じている。
平均年収 約491万円 約1,241万円
年収中央値 約430万円 約1,037万円
アメリカの 平均年収は 日本の2.5倍、年収中央値も 日本の2倍以上である。
それに引き換え、我が国の 実質賃金は、この30年ほど 停滞しており、ほとんど 延びていない。
一方で、イタリア以外の アメリカや イギリスなど G7加盟国 では、30年かけて30~46% ほど 上昇 している。
海外でも インフレは 続いているが、それ以上に 賃金上昇が 進んでいるため、実質賃金も 高く計測されている。
ジェットの 最大マーケットは 北米だ。
これは あくまで 平均値なので 職種や地域差は もちろんあるが、これだけ 年収が違えば ジェットを買う 余裕もあるだろう。
さらに ジェットは「輸入品 」である。
円安の今、輸入品は それだけで“高価”な ものになる。
給料が 上がらないのに、ジェットの 値段だけが 高くなっているのが 今の状態 なのだ。
いずれにせよ、販売が低迷する 要因は、複合的要素が 重なっている。
昭和の時代は、流行歌の 歌詞にも「 海 」に 関する キーワードが多かった。
「 春色の 汽車に 乗って “海”に 連れて 行ってよ 」と、松田聖子が 歌ったのも、今は 遠い昔だ。
出会いは「 海 」、連れて 行ってほしい 場所も「 海 」。
辛い恋の終わりが「 海 」だったり、「 砂に 消えた涙 」というくらい、昭和世代にとって、「 恋愛 」と「 海 」は 切っても 切れない ものだった。
しかし、令和の今、失恋して「 海 」に 泣きに 行くという歌は、演歌以外では 思い浮かばない。
「 水辺に行く人 」が 減れば、一般の人が ジェットを 目にする機会も 少なくなる。
ジェットを 見たことがなければ、テレビなどで 目にする「 悪質な水上バイク 」しか印象に 残らないのも 当然だ。
少子高齢化 社会の 今、まず やるべきことは、「 マリンスポーツの普及 」よりも、「 海は素敵 」という 概念を 思い出して もらうことかも しれない。
若者が スマホで 恋をする時代、「 海 」の 魅力を発信し続けるのが、我々の 役目なのかも しれない。

今回で 18回目となった 2025年の BOTYの 各部門賞が、今年2月に発表された。
PWC部門賞は「 YAMAHA FX Cruiser SVHO 」に決定した。
BOTYの最優秀賞は、3月19日(木)に パシフィコ横浜で行われる「 ジャパン・インターナショナル・ボートショー 」の イベント会場で 発表されることに なっている。
※侠客とは 侠客とは、単なる「 ヤクザ者 」や「 無法者 」とは 異なり、「 己の中の“正義” 」を 持つ者 と されている。義理人情に厚く、人の 難儀を 見過ごせない “情”から行動し、自己犠牲を 厭わない者のことだ。 
今回、編集部は 日本パワーボート協会 会長・小嶋 松久 氏の 持っている 別荘の 一つ、「 雪山 」に 誘われた。
小嶋氏の 別荘の ある 雪山に 来るのは、実に9年ぶりとなる。
エスコートしてくれたのは、世界的な ジェット アパレルメーカー、クエーキーセンスの 紅矢 俊栄 氏だ。
前回の訪問は、クエーキーセンスの 新作スノーウエアの 撮影が主な 目的であった。
今回は、本誌編集部が 日本パワーボート協会の パブリシティを 行っている 関係で、「 1泊2日で スノーモービルで 遊ぼう 」と、雪山に 招待して くださったのだ。
小嶋氏の“趣味”は、夏は「 パワーボート 」、冬は「 スノーモービル 」だという。
到着した“別荘”には、十数台の スノーボービルが 我々を待っていた。


“別荘”には、十数台の スノーボービルが 我々を待っていた。最初に、この別荘の 持ち主である“小嶋 松久”氏 について、少し 紹介を しておきたい。
小嶋氏は、1944年( 昭和19年 )11月17日に 京都で生まれ、現在 81歳である。
小嶋氏が 初めて“モータースポーツ”の レースに デビューしたのは1959年( 昭和34年 )だった。
第二次世界大戦が 終わったのが1945年だから、高度経済成長期が 始まった ばかりのころである。
彼が まだ 中学生だった15歳、京都で 行われた ダート トラックレース( ※未舗装の 周回路〔 トラック 〕上で 行われるレース )に 出場したそうだ。
当時は 50ccの免許が「 14歳 」で 取れたので、14歳のときに、50ccの オートバイを 買ってもらって 練習に 明け暮れていたという。
モトクロスの レースでは、高校時代から スズキの ファクトリーライダーとして活躍し、国内だけでなく 海外のレースにも 参戦していた。

小嶋氏は、日本で 初めて国産のF1マシンで 走った「 コジマ エンジニアリング 」の 代表としても 知られている。
古くからの モータースポーツファンなら、「 日本初の 国産F1マシン『 KE 007 』 」と 聞いて、ピンとくる人も 多いだろう。
1976年に 富士スピードウェイで開催された、国内初の『 F1日本グランプリ( F1世界選手権イン・ジャパン ) 』で 走ったのが「 KE 007 」である。
そのときの ドライバーは、長谷見 昌弘 選手であり、そのマシンを 造った「 コジマ エンジニアリング 」の代表が 小嶋氏である。
それが、小嶋氏が32歳の ときだ。
F1から撤退しても、数年間は継続して 世界で戦うことを 模索していた。
「 富士スピードウェイなら 勝って当たり前 」と言っていた 小嶋氏だが、次の目標として 海外戦も 想定していた。
そのため、F1が 開催される海外のサーキット会場に、何度も 足を運んでいたという。
ブラジル グランプリで サンパウロの インテルラゴス・サーキットにも、「 ここを どういうふうに 走ったら 勝てる 」というシミュレーションを するために 訪れていたそうだ。
国内でF1世界選手権の開催がなくなった後も、F1への 情熱の炎は、全く 消えていなかった。
あまり 知られていないが、小嶋氏は その頃 1970年代の 空前の「 スーパーカー ブーム 」の 影の 立役者として、スーパーカーレース や スーパーカーショーの プロデュースなどを 全国で 展開していたこともある。

その後、パワーボートのレースへと 転向し、1988年には アメリカの 世界チャンピオン「 スミティ 」選手と組み、「 国内無敵の 最強コンビ 」と 呼ばれ、国内4連覇を 果たした。
2007年に 現役を 引退し、2008年から 日本パワーボート協会 会長に就任し、現在に至る。
私も アクアバイクの 取材で、何度か 併催されている パワーボート大会に 行ったことがある。
小嶋氏は、トップで あるにも関わらず、常に 動き回り 忙しく働いている。
テントの中で ふんぞり返っている姿は 見たことがなく、会場内を 走り回っている姿しか 記憶にない。
モトクロスレースを 引退してからも、自身で レーサーレプリカの バイクを 製造したり、F1に 参戦したり、パワーボートの レースに 出場するなど、モータースポーツ 一筋で 生きてきた 生粋の「 レース人 」なのだ。
小嶋氏が スノーモービルを 始めたのは、40年ほど 前だという。
このころ、小嶋氏は F1の チーム監督として 活躍しており、あくまで“趣味”の 一環として 始めたのだそうだ。
小嶋氏の スノーモービルの ライディング技術は 超一流だ。
もともと 世界的な モトクロスレーサーだから、荒れた 地面を 走るのには 慣れている。
それを 差し引いても、我々とは 全く“レベル”が 違いすぎるのだ。

スノーモービルは、雪の上をソリのように 滑走する乗り物である。
構造を 簡単にいえば、人や 荷物を 載せる荷台と 滑走に 適した スキーを 持ち、さらに 自走するためのエンジンを 備えている 1~2人乗りの 小型雪上車である。
ハンドル、スロットル( アクセル )、ブレーキで 操作する。
方向転換は、ハンドルと 体重移動で 行う。
陸上の 乗り物でいえば スクーターと 同じなので、平らな場所で“乗るだけ”だったら 誰でも 簡単にできる。
しかし、キチンと 自分で 操縦するとなると 話は別だ。
スノーモービルを 運転したことが ある人は 分かるだろうが、スノーモービルは「 体重移動 」を意識しないと 方向転換が 難しい。
新雪だと 雪も 柔らかいし、走るところも 道路以外の場所だ。
雪質によって、“走り”の 難しさが 極端に 変わってくる。
誰も 足を踏み入れた ことがない、パウダースノーのような 雪原は、かえって走るのが 難しい。
山を 駆け上がった 先が崖に なっていたり、クレバス( 氷河や雪渓に 形成された深い 割れ目 )になっていると、大ケガを する 可能性が高い。
山に 不慣れな 素人には 大変 危険なのだ。
ジェットよりも、「 上手く乗る 」ためには、かなりの練習を しないといけない。
前回 この雪山で スノーモービルを 体験させていただいたとき、雪で“埋まって”しまった スノーモービルを 掘り出すのに 苦労した 記憶がある。
まともに走れず、一日中 スコップと 格闘して“掘り起こして”いる人も多い。
あまりの 乗れなさに、「 ここで 雪を掘りに 来たんだっけ? 」、「 2度と スノーモービルはこりごりだ 」と 感じる人も 多いと聞く。

今回、私が 走ったコースは、「 ゴルフ場 」である。
初心者である 私のために、小嶋氏が 特別に 連れてきてくれた コースだ。
もちろん、ゴルフ場の 許可も 取っている。
1メートル以上の 積雪があるので、直接 グリーンや フェアウェイを 傷つけることはない。
初心者でも 女性でも 走れる場所を 選んでくれたのだ。
◆
しかし、この「 ゴルフ場 」というのが、非常に “刺激的”な場所である。
ゴルフコースには 障害物など 何もない。
初心者には 夢のような 白い フェアウェイ。
誰もが「 非日常感 」を、存分に 味わえる。
ゆるやかな坂や、急な窪み、林の間を 抜けるのも 楽しい。
私のような ビギナーは、小嶋氏の 後ろを走るのが 一番安全だ。
小嶋氏の 後ろを 走っていて 気が付いたのは、相手の レベルに 合わせて「 楽しませてくれている 」ことだ。
氏自身は、どんな 急斜面でも 難コースでも 走れる ドライビング スキルが ある。
だからこそ、我々の レベルを 的確に 理解し、“走るコース”を 決めてくれている。
自分が 楽しむためでは なく、「 ゲストを 楽しませる 」ための場を 作ってくれて いるのだ。
それでも、やはり 雪の中で スタックしてしまう。
降った直後の フワフワの雪は90%が空気のため、転倒して はまり込むと 身動きが 取れなくなる。
これを“掘り起こす”のが、とても大変なのだ。
というか、スノーモービルの特性や、現在の状況を 理解していないと、永久に雪から抜け出せない。


私が 埋まって 立ち往生していることに 気が付くと、紅矢氏が スノーモービルから 飛び降りて 助けに来てくれた。
柔らかい雪に 足を踏み入れたことが ある人なら 分かるかもしれないが、不用意に“1歩目”を 踏み出すと、そのまま ズボッと体が沈む。
無理やり足を抜こうとすると、足だけが抜けて、長靴が 脱げて しまうのだ。
それでも 私を 助けようと 近寄ってくれるのだが、その両足は いつの間にか 裸足だった。
雪の中に 深く埋まった長靴が、取り出せなかったのである。
それでも 助けに来てくれる 紅矢氏に、申し訳ない 気持ちで いっぱいになった。

私が 埋まって 立ち往生していることに 気が付くと、紅矢氏が スノーモービルから 飛び降りて 助けに来てくれた。
今回もう一人、一緒に スノーモービルを 楽しんだ 男性が いたのだが、その 彼も 私を 助けようと手を貸してくれる。
しかし、 「 スノーモービルの重量+ふわふわの 雪 」という 悪条件が 揃って、3人では なかなか 雪から脱出させることができない。
それを見ていた 小嶋氏からの 的確な指示により、あっという間に 私の乗っていた スノーモービルは 雪から 掘り出されたのだ。
その 鮮やかな お手並みを 見せつけられた 私の眼は、完全に“崇拝”である。
口には 出さない「 格の違い 」を、その 背中が 語っていた。


その後も、何度か 同様の 問題が 起こったが、小嶋氏が 手を貸してくれる たびに、魔法のように トラブルが 解決する。
特に私が 感動したのが、エンジンを かける“テクニック”である。
小嶋氏の スノーモービルは、あえて 最新式ではなく 少し前の 2ストローク車だ。
スノーモービルも 最新型から 旧型までいろいろ 所有しているが、「 旧型には、“パワーがない 面白さ” 」があるという。
パワーが なくても 面白いなんて、ジェットでいう「 JS 550 」のようだと 思った。
◆
2スト車は、リコイル スターターのハンドルを 引っ張って エンジン始動させる。
私の 未熟さによるものだが、雪から 掘り出した 直後だと、なかなか 上手く エンジンが かからない。
何度ハンドルを 引いても、エンジンが かからないのだ。
いくら引っ張っても、ウンともスンとも 言わない。
見るに見かねて 紅矢氏が 手を差し伸べてくれる。
紅矢氏と 知人が 2人がかりで 何度も チャレンジしてくれたが、やっぱり かからない。
「 どないしたの? 」と 小嶋氏が やって来て「 ちょっと貸してみ 」と言って ハンドルを 引くと、すぐに エンジンが 始動する。
「 自分の スノーモービルなんだから 当然だろう 」と思うかもしれないが、これを 実際に 目の前で 見せられると、“神業”としか 思えない。
こんなことが 何度も 起きると、「 畏敬の念 」しか 沸いてこなくなる。
今回の メンバーのなかで 最年長の 小嶋氏が、一番元気で 一番若い。
私も、80歳を 過ぎても「 こんなに“格好いい大人”でいたい 」と、心から思った。


この日、小嶋氏の 別荘に 宿泊させていただいたが、「 ここの 山小屋から 見る朝日は とてもキレイだ 」と 言われた。
それを 聞いたら、ぜひとも 写真に 収めたい。
日の出を 狙って、朝6時半に 起きて外に 出かけた。
ところが、この日は あいにくの薄曇りで、日の出の 写真が 撮れなかったことは 残念だった。
7時ごろに 別荘に 戻ると、すでに行動を 開始していた 小嶋氏が、いきなり「 圧雪車 」に 乗り込んだのだ。
圧雪車とは、雪を 締め固めて ゲレンデを 整備する 特殊車両である。
スキー場ならば ゲレンデの 雪を均一に 締め固め、滑りやすい 状態にするのだが、ここでは 不整地を 平らにし、コブを 除去するなど、安全性を 高めるために 使われている。
別荘の周囲を ていねいに 圧雪すると、圧雪車の 隣に 停めてあった スノーモービルに 乗り、50メートルほど 離れた 場所にある ブルドーザーに飛び乗った。
何をするのかと 見ていると、地元の人も 使っている道路を 均しに行ったのだ。
夜の間に 車道に 積もった雪や、横から崩れて 車道に はみ出した雪を 除去していく。
この車道は、地元の人や スキー場で 働く人たちが 使う “唯一の車が 走れる道”である。
除雪前は 軽トラ1台分くらいしか 走れなかった 道幅を、車が すれ違えるくらいまで 丁寧に 除雪していくのだ。


「 なぜ、そんな場所まで 除雪するのですか? 」と聞いてみると、その答えが 粋だった。
「 そうすると、地元の人が 喜んでくれるから 」除雪前の道だと、車が すれ違えないので 両方が 譲り合い、文字通り「 立ち往生 」になる。
でも、道幅を広げれば 車が行き交うことができる。
「 自分が 別荘に来ているときは、いつも そうしている 」と、さも 当たり前に 言う。
なんの見返りもなく、誰に言われたわけでもなく、ただ「 誰かが喜ぶから 」という理由だけで、朝早くから ブルドーザーで 除雪しに 行くのだ。
今の世の中、誰かに 認められたい、褒められたいと 思って行動する 人が多い。
でも、小嶋氏の 中では「 できることをやる 」のが 当たり前 なのだと 気付かされた。
ここまでが、小嶋氏の“朝の日課”である。


ブルドーザーを 格納して 別荘に 戻ってくると、今度は 薪に 火を付けて 朝食の準備にとりかかる。
火を付ける 作業も 手馴れており、とにかく 全ての 仕草が“サマ”に なっている。
美味しい 朝食をいただくと、また スノーモービルタイムだ。
スノーモービルは、想像以上に ハードな スポーツだ。
ゴルフ場の18ホールを 走ると ヘトヘトになる。
戻ってくると、蕎麦 と カレーが 用意されていた。
ここでは、ゲストは ただひたすら“楽しいだけ”の、至れり 尽くせり の 雪山ライフが送れるのだ。


雪山に 滞在中、ふと 小嶋氏が言った 言葉が 頭に残っている。
「 世の中に、天才なんて いない 」
「 天才 」とは、生まれつき 備わった 優れた 才能を持ち、常人では 到達し得ない レベルの 業績を 残す人物 のことを 指す。
血のにじむような 努力の末に 優れた能力を 身につけた人を「 秀才 」と呼ぶが、それとは 違って、先天的な 才能を 持つ者だ。
よく、「 大谷 翔平 選手は 天才 」と いわれるが、何もしなくて あの地位に いるわけではない。
「 努力は 報われないことのほうが 多い。
しかし、その努力は 無駄ではない 」と 大谷選手が 語っているのを 聞いたことがあるが、彼は人並み以上の 努力を しているのだ。
小嶋氏自身も、幼いころから さまざまなレースで 活躍してきた、いわば「 エリート 」であり「 天才 」と 呼ばれてきた人物だ。
その人の口から出る「 世の中に、天才なんて いない 」という言葉は、“重さ”が違う。
確かに、いくら 恵まれた 素質を 持っていても、才能は 磨かなければ 光らない。
そのことを、誰よりも知っている「 人 」だ。
「 長谷見 昌弘 氏 」、「 星野 一義 氏 」、「 高橋 国光 氏 」、「 片山 義美 氏 」 など、モータースポーツ史に 燦然と 名を残す名選手たちと しのぎ を 削り、“勝って”きた 小嶋氏。
「 努力は 才能に 勝る 」と言われるが、凡人の私では 到達できない 高みにいる 小嶋氏から「 天才は いない 」といわれると、なぜだか 少し ホッとした。
そして、真っ直ぐに努力を“積み重ねる”ことで 誰もが ヒーローになれる、英雄が 誕生する のだという 事実を 小嶋氏から 学べた気がした。 
“小嶋 松久”という人物を 見ていて 思うことがある。
人は 毎日 成長すべきで、毎日 成長するために 努力を 惜しんでは いけないということだ。
年齢を 受け入れつつも、自分磨き怠らない。
知識や 話題が 豊富で、新しいことにも 挑戦する 柔軟な 考え方を 持っている。
80歳を 超えた 今でも、常に 理想の姿を 考え、それに 近づく努力を 惜しまない。
いくつになっても、“錆びない男”というのは、こういう人のことを いうのだろう。
そんな“男の生き方”を 見て、自分も そうでありたいと 感じる 2日間であった。


私が81歳になったとき、果たして 今の 小嶋氏の ように なれるだろうか。
雪山で スノーモービルを駆り、誰よりも上手くパワーボートを 操る。
もちろん、バイクに 乗らせても、クルマに 乗らせても 上手い。
エネルギッシュで、好奇心旺盛。
新しいことにも、迷わず チャレンジする。
情に篤く、人のために働くことを 当たり前と思う。
年齢に関係なく、誰だって こんな“人”に なりたい。




今回 試乗させて もらった生駒選手の マシンには、「 PWC ART 」という 新興メーカーの 作った「 Race Diffusor Sponsons( レース ディフューザー・スポンソン ) 」が付いている。
製作には、スキークラスの 世界タイトルホルダー である ケヴィン・ライタラー選手が 関わっている。
このスポンソンは、ケヴィン選手が 2年以上の テストを経て 開発したものだ。
「 2年の 歳月を かけて、ようやく 心から 満足できる 製品が 完成しました。
レース ディフューザー・スポンソンは、レーサーの 技量を 向上させ、ライディングの 楽しさを 再確認 させてくれます。
僕が、情熱と 愛着を 持って 開発した この製品で、世界中の レーサーたちの ライディングの進化に 貢献できれば 幸いです 」と、ケヴィン選手は 語っている。

この スポンソンの 特徴は、その形状にある。
RIVA製や シードゥ純正の スポンソンよりも 全長は 短い。
側面から 見ると アルファベットの「 C 」の形( Cチャンネル )をしており、これにより 水の流れを 船体下方向へ 導きながら、後方へ流す 構造となっている。
リアに つけられた2つの リフトウェッジが 水流を 拡散させ、下向きの 推力を 生み出してくれる という。
この スポンソンの リフトウェッジ には 柔軟性があり、成人男性が 力を入れて 握ると 変形させられるくらいの 硬さである。
これにより、高い水圧がかかったとき、自動的に 適切な形状に なってくれるという。
スポンソンの開発時、常に 水の流れを 研究していたそうだ。
「 世界で 初めて、水の流れを 利用して 曲がるスポンソン 」と、生駒選手が 語る。
車でいう“ダウンフォース”が装着されているような“もの”と思えばいいだろう。
PWC ART 製「 Race Diffusor Sponsons( レース ディフューザー・スポンソン ) 」は、国内では 生駒選手から入手することが 可能だ。
価格は、16万5千円( 本体価格15万円+消費税 )で、現在、ヤマハ用とシードゥ用が発売されている。
カワサキ用は、開発中とのことである。


WJS 生駒選手は、いつから ジェットに 乗り始めたのですか?
生駒 初めは、当時フリースタイルを やっていた コマちゃん( ご主人の生駒 淳 選手 )の 写真を撮っていたんです。
それで、一緒に 海外の フリースタイルの大会に 付いて行っているときに、「 その賞金で レースに出てみたい 」って コマちゃんが 言い出した。
フリースタイルと違って、レースだと1位、2位が ハッキリするじゃないですか。
そのほうが 面白そうだなって 思ったのが 最初ですね。
WJS そのときは、まだジェットに 乗っていなかったのですか?
生駒 そうですね。
そのころ コマちゃんは ウルトラに 乗っていたのですが、ウルトラは シート幅が広くて、私が 乗ると ガバッと 足を 開かないといけない。
すごく 乗りにくかったから、それに乗ろうとは 思いませんでした。
WJS いつから レースに 出ようと 思ったのですか?
生駒 RXP-X( 260 )が 出たときです。
ちょっと 乗らせてもらったら、「 すごい! 私でも 乗れる 」って。
シートの幅も 狭いし、「 これだったら、私も レースを やりたいな 」って 思いました。
WJS RXP-Xの 国内販売は2012年ですね。
その 前年に、イギリスの ジェームズ・ブッシェル選手が 乗って 世界一になった モデルです。
生駒 そうです。
まだ 国内で 販売していなかったときに、並行輸入で 買ってきました。
「 これは 面白い 」と思って、当時、免許を 持っていなかったので、速攻で取りに行きました。

WJS 最初に 乗ったジェットがRXP-Xだったのですか?
生駒 それが 違うんです。
コマちゃんが 買ってきてくれたのが、 「 ノーマル の スーパージェット 」でした。
ノーマル なのに、なぜか フロントのフードに “4つの穴”が 開いていた。
WJS それは、フリースタイルで 寝技用の 「 ハンドホール 」 だったのでは?
生駒 そうです。
フロントに 穴が 開いているのを見て、「 これは フリースタイル用 なんだな 」って。
練習して、スプレーや ウイリー なんかの 簡単な“技”なら できるように なりました。
それが できるようになったら、次は バレルロールが したかった。
でも、どんなに 頑張っても、半分も 回れなくて 悔しくて。
コマちゃんに、「 どうやって 回ればいいの? 」と 聞いたら、「 そこから 先は、お金を かけて やるしかない 」って 言われました。
私自身、フリースタイルに そこまでする 価値はないなって。
それだったら、「 レースのほうが 全然 面白い 」って 思いました。

WJS それで RXP-Xを買ったのですか?
生駒 そうです。
ローンを 組むのが 嫌だったので、1年かけて お金をためて、現金でRXP-Xを買いました。
それで、その年に すぐに 大会に 出たんです。
WJS それが 何年前ですか?
生駒 40歳のときだから、今から12年前の2014年ですね。
WJS 失礼ですが、今、おいくつですか?
生駒 52歳です。
WJS 最初から、ランナバウトクラス だったの ですか?
女性なら、ウィメンクラス のある スキークラス のほうが よかったのでは?
生駒 そういえば、スキークラスは 考えなかったですね。
WJS 海外でも、タイ と アメリカ以外で 女性がランナバウトのレースに 出ているのを 見たことがありません。
生駒 何人か「 ランナに 出たいから 教えてください 」って 女の子が来たことが あるんですよ。
でも、みんな怖くて やめちゃうんです。
WJS ランナバウトで怖いと 思うことは ないのですか?
生駒 スピードは 怖くない。
怖いと 思ったことが ないです。

WJS 2021年と2022年で チャンピオンに なっていますが、男性と 一緒に走るのに 全然負けていませんよね?
生駒 体重が 軽いことが メリットじゃないですかね。
他の 男性ライダーよりも 体重が30キロくらい軽いんで、私自身が 軽量ハルと 一緒なんです。
問題は、「 当たり負け 」するので、どうしても 吹っ飛ばされる。
レースに出た 最初の年は、全ての レースで 吹っ飛んで 落水していました(笑)。
それが悔しくて、上半身を 重点的に 鍛える トレーニングをしています。
WJS ぶつかることも 多いのですか?
生駒 ぶつかります。
ガンガン ぶつかります。
手も折ったし、あばらも 折りました(笑)。
WJS それでもレースは楽しいですか?
生駒 楽しいです!
WJS 生駒選手に とって、レースで 一番 面白いところは どこですか?
生駒 1ブイまでが 一番楽しい。
1ブイに 突っ込んで、インとアウトに分かれて 合流する ところまでが 一番楽しい。
あそこが ゴールのレースがあっても いいくらい(笑)。

「 愛し合う2人 幸せの空 隣どうし あなたとあたし さくらんぼ 」
この2人を 見ていたら、大塚 愛のヒット曲「さくらんぼ」が、頭に浮かんできた。
時には 喧嘩もするけれど、やっぱり “隣”には いつも アナタに いて欲しい。
そんな日常が、一番愛おしい。
何十年経っても、一緒がいい。
「 また、娘に からかわれちゃうね 」
二人きりの ジェットの上で、明美さんが、恥ずかしそうに 笑った。


「 LIFT eFoil( リフト イー フォイル ) 」とは、水中の ハイドロフォイル( 水中翼 )から 揚力を得ることでボードが持ち上がり、滑走する “ 電動ボード”である。
手に持ったコントローラーで、発進や スピードの調整、バッテリーの充電残量が確認できる。
ボードが浮き上がることで、水面に接する部分の抵抗が減少し、まるで空を飛んでいるような “浮遊感”を味わえる。
今、このハイドロフォイル系の乗り物が、流行に敏感な人たちの間で、密かな人気となっている。
◆
このリフト イーフォイルは、充電時間は90分で2時間半遊べる。
大きさも127cm~174cm( ボードの種類により異なる )で、普通のサーフボードの“ショートボード”相当だ。
クルマに 十分積める 大きさもウケている 理由のひとつだ。
電動なので、排出ガスや騒音の問題が ないところも良い。
バッテリー交換も 簡単にできるので、予備の電池が1つあれば、遊んでいる間に充電が完了する。
つまり、電池残量を気にせず、一日中遊んでいられるのだ。
これって、スゴくない?
◆
リフト イーフォイルは、まさに次世代の新しいマリンスポーツである。
波のない日も サーフィンをしたい人、新しいマリンスポーツに 挑戦してみたい人、トレンドに敏感な人などに、ぜひともオススメしたい。
やってみないと、何も始まらない。
「 百聞は一見に如かず 」とは、この乗り物のことをいう。
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