




※侠客とは 侠客とは、単なる「 ヤクザ者 」や「 無法者 」とは 異なり、「 己の中の“正義” 」を 持つ者 と されている。義理人情に厚く、人の 難儀を 見過ごせない “情”から行動し、自己犠牲を 厭わない者のことだ。
“別荘”には、十数台の スノーボービルが 我々を待っていた。今回、編集部は 日本パワーボート協会 会長・小嶋 松久 氏の 持っている 別荘の 一つ、「 雪山 」に 誘われた。
小嶋氏の 別荘の ある 雪山に 来るのは、実に9年ぶりとなる。
エスコートしてくれたのは、世界的な ジェット アパレルメーカー、クエーキーセンスの 紅矢 俊栄 氏だ。
前回の訪問は、クエーキーセンスの 新作スノーウエアの 撮影が主な 目的であった。
今回は、本誌編集部が 日本パワーボート協会の パブリシティを 行っている 関係で、「 1泊2日で スノーモービルで 遊ぼう 」と、雪山に 招待して くださったのだ。
小嶋氏の“趣味”は、夏は「 パワーボート 」、冬は「 スノーモービル 」だという。
到着した“別荘”には、十数台の スノーボービルが 我々を待っていた。


最初に、この別荘の 持ち主である“小嶋 松久”氏 について、少し 紹介を しておきたい。
小嶋氏は、1944年( 昭和19年 )11月17日に 京都で生まれ、現在 81歳である。
小嶋氏が 初めて“モータースポーツ”の レースに デビューしたのは1959年( 昭和34年 )だった。
第二次世界大戦が 終わったのが1945年だから、高度経済成長期が 始まった ばかりのころである。
彼が まだ 中学生だった15歳、京都で 行われた ダート トラックレース( ※未舗装の 周回路〔 トラック 〕上で 行われるレース )に 出場したそうだ。
当時は 50ccの免許が「 14歳 」で 取れたので、14歳のときに、50ccの オートバイを 買ってもらって 練習に 明け暮れていたという。
モトクロスの レースでは、高校時代から スズキの ファクトリーライダーとして活躍し、国内だけでなく 海外のレースにも 参戦していた。

小嶋氏は、日本で 初めて国産のF1マシンで 走った「 コジマ エンジニアリング 」の 代表としても 知られている。
古くからの モータースポーツファンなら、「 日本初の 国産F1マシン『 KE 007 』 」と 聞いて、ピンとくる人も 多いだろう。
1976年に 富士スピードウェイで開催された、国内初の『 F1日本グランプリ( F1世界選手権イン・ジャパン ) 』で 走ったのが「 KE 007 」である。
そのときの ドライバーは、長谷見 昌弘 選手であり、そのマシンを 造った「 コジマ エンジニアリング 」の代表が 小嶋氏である。
それが、小嶋氏が32歳の ときだ。
F1から撤退しても、数年間は継続して 世界で戦うことを 模索していた。
「 富士スピードウェイなら 勝って当たり前 」と言っていた 小嶋氏だが、次の目標として 海外戦も 想定していた。
そのため、F1が 開催される海外のサーキット会場に、何度も 足を運んでいたという。
ブラジル グランプリで サンパウロの インテルラゴス・サーキットにも、「 ここを どういうふうに 走ったら 勝てる 」というシミュレーションを するために 訪れていたそうだ。
国内でF1世界選手権の開催がなくなった後も、F1への 情熱の炎は、全く 消えていなかった。
あまり 知られていないが、小嶋氏は その頃 1970年代の 空前の「 スーパーカー ブーム 」の 影の 立役者として、スーパーカーレース や スーパーカーショーの プロデュースなどを 全国で 展開していたこともある。

その後、パワーボートのレースへと 転向し、1988年には アメリカの 世界チャンピオン「 スミティ 」選手と組み、「 国内無敵の 最強コンビ 」と 呼ばれ、国内4連覇を 果たした。
2007年に 現役を 引退し、2008年から 日本パワーボート協会 会長に就任し、現在に至る。
私も アクアバイクの 取材で、何度か 併催されている パワーボート大会に 行ったことがある。
小嶋氏は、トップで あるにも関わらず、常に 動き回り 忙しく働いている。
テントの中で ふんぞり返っている姿は 見たことがなく、会場内を 走り回っている姿しか 記憶にない。
モトクロスレースを 引退してからも、自身で レーサーレプリカの バイクを 製造したり、F1に 参戦したり、パワーボートの レースに 出場するなど、モータースポーツ 一筋で 生きてきた 生粋の「 レース人 」なのだ。
小嶋氏が スノーモービルを 始めたのは、40年ほど 前だという。
このころ、小嶋氏は F1の チーム監督として 活躍しており、あくまで“趣味”の 一環として 始めたのだそうだ。
小嶋氏の スノーモービルの ライディング技術は 超一流だ。
もともと 世界的な モトクロスレーサーだから、荒れた 地面を 走るのには 慣れている。
それを 差し引いても、我々とは 全く“レベル”が 違いすぎるのだ。

スノーモービルは、雪の上をソリのように 滑走する乗り物である。
構造を 簡単にいえば、人や 荷物を 載せる荷台と 滑走に 適した スキーを 持ち、さらに 自走するためのエンジンを 備えている 1~2人乗りの 小型雪上車である。
ハンドル、スロットル( アクセル )、ブレーキで 操作する。
方向転換は、ハンドルと 体重移動で 行う。
陸上の 乗り物でいえば スクーターと 同じなので、平らな場所で“乗るだけ”だったら 誰でも 簡単にできる。
しかし、キチンと 自分で 操縦するとなると 話は別だ。
スノーモービルを 運転したことが ある人は 分かるだろうが、スノーモービルは「 体重移動 」を意識しないと 方向転換が 難しい。
新雪だと 雪も 柔らかいし、走るところも 道路以外の場所だ。
雪質によって、“走り”の 難しさが 極端に 変わってくる。
誰も 足を踏み入れた ことがない、パウダースノーのような 雪原は、かえって走るのが 難しい。
山を 駆け上がった 先が崖に なっていたり、クレバス( 氷河や雪渓に 形成された深い 割れ目 )になっていると、大ケガを する 可能性が高い。
山に 不慣れな 素人には 大変 危険なのだ。
ジェットよりも、「 上手く乗る 」ためには、かなりの練習を しないといけない。
前回 この雪山で スノーモービルを 体験させていただいたとき、雪で“埋まって”しまった スノーモービルを 掘り出すのに 苦労した 記憶がある。
まともに走れず、一日中 スコップと 格闘して“掘り起こして”いる人も多い。
あまりの 乗れなさに、「 ここで 雪を掘りに 来たんだっけ? 」、「 2度と スノーモービルはこりごりだ 」と 感じる人も 多いと聞く。

今回、私が 走ったコースは、「 ゴルフ場 」である。
初心者である 私のために、小嶋氏が 特別に 連れてきてくれた コースだ。
もちろん、ゴルフ場の 許可も 取っている。
1メートル以上の 積雪があるので、直接 グリーンや フェアウェイを 傷つけることはない。
初心者でも 女性でも 走れる場所を 選んでくれたのだ。
◆
しかし、この「 ゴルフ場 」というのが、非常に “刺激的”な場所である。
ゴルフコースには 障害物など 何もない。
初心者には 夢のような 白い フェアウェイ。
誰もが「 非日常感 」を、存分に 味わえる。
ゆるやかな坂や、急な窪み、林の間を 抜けるのも 楽しい。
私のような ビギナーは、小嶋氏の 後ろを走るのが 一番安全だ。
小嶋氏の 後ろを 走っていて 気が付いたのは、相手の レベルに 合わせて「 楽しませてくれている 」ことだ。
氏自身は、どんな 急斜面でも 難コースでも 走れる ドライビング スキルが ある。
だからこそ、我々の レベルを 的確に 理解し、“走るコース”を 決めてくれている。
自分が 楽しむためでは なく、「 ゲストを 楽しませる 」ための場を 作ってくれて いるのだ。
それでも、やはり 雪の中で スタックしてしまう。
降った直後の フワフワの雪は90%が空気のため、転倒して はまり込むと 身動きが 取れなくなる。
これを“掘り起こす”のが、とても大変なのだ。
というか、スノーモービルの特性や、現在の状況を 理解していないと、永久に雪から抜け出せない。


私が 埋まって 立ち往生していることに 気が付くと、紅矢氏が スノーモービルから 飛び降りて 助けに来てくれた。
柔らかい雪に 足を踏み入れたことが ある人なら 分かるかもしれないが、不用意に“1歩目”を 踏み出すと、そのまま ズボッと体が沈む。
無理やり足を抜こうとすると、足だけが抜けて、長靴が 脱げて しまうのだ。
それでも 私を 助けようと 近寄ってくれるのだが、その両足は いつの間にか 裸足だった。
雪の中に 深く埋まった長靴が、取り出せなかったのである。
それでも 助けに来てくれる 紅矢氏に、申し訳ない 気持ちで いっぱいになった。

私が 埋まって 立ち往生していることに 気が付くと、紅矢氏が スノーモービルから 飛び降りて 助けに来てくれた。
今回もう一人、一緒に スノーモービルを 楽しんだ 男性が いたのだが、その 彼も 私を 助けようと手を貸してくれる。
しかし、 「 スノーモービルの重量+ふわふわの 雪 」という 悪条件が 揃って、3人では なかなか 雪から脱出させることができない。
それを見ていた 小嶋氏からの 的確な指示により、あっという間に 私の乗っていた スノーモービルは 雪から 掘り出されたのだ。
その 鮮やかな お手並みを 見せつけられた 私の眼は、完全に“崇拝”である。
口には 出さない「 格の違い 」を、その 背中が 語っていた。


その後も、何度か 同様の 問題が 起こったが、小嶋氏が 手を貸してくれる たびに、魔法のように トラブルが 解決する。
特に私が 感動したのが、エンジンを かける“テクニック”である。
小嶋氏の スノーモービルは、あえて 最新式ではなく 少し前の 2ストローク車だ。
スノーモービルも 最新型から 旧型までいろいろ 所有しているが、「 旧型には、“パワーがない 面白さ” 」があるという。
パワーが なくても 面白いなんて、ジェットでいう「 JS 550 」のようだと 思った。
◆
2スト車は、リコイル スターターのハンドルを 引っ張って エンジン始動させる。
私の 未熟さによるものだが、雪から 掘り出した 直後だと、なかなか 上手く エンジンが かからない。
何度ハンドルを 引いても、エンジンが かからないのだ。
いくら引っ張っても、ウンともスンとも 言わない。
見るに見かねて 紅矢氏が 手を差し伸べてくれる。
紅矢氏と 知人が 2人がかりで 何度も チャレンジしてくれたが、やっぱり かからない。
「 どないしたの? 」と 小嶋氏が やって来て「 ちょっと貸してみ 」と言って ハンドルを 引くと、すぐに エンジンが 始動する。
「 自分の スノーモービルなんだから 当然だろう 」と思うかもしれないが、これを 実際に 目の前で 見せられると、“神業”としか 思えない。
こんなことが 何度も 起きると、「 畏敬の念 」しか 沸いてこなくなる。
今回の メンバーのなかで 最年長の 小嶋氏が、一番元気で 一番若い。
私も、80歳を 過ぎても「 こんなに“格好いい大人”でいたい 」と、心から思った。


この日、小嶋氏の 別荘に 宿泊させていただいたが、「 ここの 山小屋から 見る朝日は とてもキレイだ 」と 言われた。
それを 聞いたら、ぜひとも 写真に 収めたい。
日の出を 狙って、朝6時半に 起きて外に 出かけた。
ところが、この日は あいにくの薄曇りで、日の出の 写真が 撮れなかったことは 残念だった。
7時ごろに 別荘に 戻ると、すでに行動を 開始していた 小嶋氏が、いきなり「 圧雪車 」に 乗り込んだのだ。
圧雪車とは、雪を 締め固めて ゲレンデを 整備する 特殊車両である。
スキー場ならば ゲレンデの 雪を均一に 締め固め、滑りやすい 状態にするのだが、ここでは 不整地を 平らにし、コブを 除去するなど、安全性を 高めるために 使われている。
別荘の周囲を ていねいに 圧雪すると、圧雪車の 隣に 停めてあった スノーモービルに 乗り、50メートルほど 離れた 場所にある ブルドーザーに飛び乗った。
何をするのかと 見ていると、地元の人も 使っている道路を 均しに行ったのだ。
夜の間に 車道に 積もった雪や、横から崩れて 車道に はみ出した雪を 除去していく。
この車道は、地元の人や スキー場で 働く人たちが 使う “唯一の車が 走れる道”である。
除雪前は 軽トラ1台分くらいしか 走れなかった 道幅を、車が すれ違えるくらいまで 丁寧に 除雪していくのだ。


「 なぜ、そんな場所まで 除雪するのですか? 」と聞いてみると、その答えが 粋だった。
「 そうすると、地元の人が 喜んでくれるから 」除雪前の道だと、車が すれ違えないので 両方が 譲り合い、文字通り「 立ち往生 」になる。
でも、道幅を広げれば 車が行き交うことができる。
「 自分が 別荘に来ているときは、いつも そうしている 」と、さも 当たり前に 言う。
なんの見返りもなく、誰に言われたわけでもなく、ただ「 誰かが喜ぶから 」という理由だけで、朝早くから ブルドーザーで 除雪しに 行くのだ。
今の世の中、誰かに 認められたい、褒められたいと 思って行動する 人が多い。
でも、小嶋氏の 中では「 できることをやる 」のが 当たり前 なのだと 気付かされた。
ここまでが、小嶋氏の“朝の日課”である。


ブルドーザーを 格納して 別荘に 戻ってくると、今度は 薪に 火を付けて 朝食の準備にとりかかる。
火を付ける 作業も 手馴れており、とにかく 全ての 仕草が“サマ”に なっている。
美味しい 朝食をいただくと、また スノーモービルタイムだ。
スノーモービルは、想像以上に ハードな スポーツだ。
ゴルフ場の18ホールを 走ると ヘトヘトになる。
戻ってくると、蕎麦 と カレーが 用意されていた。
ここでは、ゲストは ただひたすら“楽しいだけ”の、至れり 尽くせり の 雪山ライフが送れるのだ。


雪山に 滞在中、ふと 小嶋氏が言った 言葉が 頭に残っている。
「 世の中に、天才なんて いない 」
「 天才 」とは、生まれつき 備わった 優れた 才能を持ち、常人では 到達し得ない レベルの 業績を 残す人物 のことを 指す。
血のにじむような 努力の末に 優れた能力を 身につけた人を「 秀才 」と呼ぶが、それとは 違って、先天的な 才能を 持つ者だ。
よく、「 大谷 翔平 選手は 天才 」と いわれるが、何もしなくて あの地位に いるわけではない。
「 努力は 報われないことのほうが 多い。
しかし、その努力は 無駄ではない 」と 大谷選手が 語っているのを 聞いたことがあるが、彼は人並み以上の 努力を しているのだ。
小嶋氏自身も、幼いころから さまざまなレースで 活躍してきた、いわば「 エリート 」であり「 天才 」と 呼ばれてきた人物だ。
その人の口から出る「 世の中に、天才なんて いない 」という言葉は、“重さ”が違う。
確かに、いくら 恵まれた 素質を 持っていても、才能は 磨かなければ 光らない。
そのことを、誰よりも知っている「 人 」だ。
「 長谷見 昌弘 氏 」、「 星野 一義 氏 」、「 高橋 国光 氏 」、「 片山 義美 氏 」 など、モータースポーツ史に 燦然と 名を残す名選手たちと しのぎ を 削り、“勝って”きた 小嶋氏。
「 努力は 才能に 勝る 」と言われるが、凡人の私では 到達できない 高みにいる 小嶋氏から「 天才は いない 」といわれると、なぜだか 少し ホッとした。
そして、真っ直ぐに努力を“積み重ねる”ことで 誰もが ヒーローになれる、英雄が 誕生する のだという 事実を 小嶋氏から 学べた気がした。 
“小嶋 松久”という人物を 見ていて 思うことがある。
人は 毎日 成長すべきで、毎日 成長するために 努力を 惜しんでは いけないということだ。
年齢を 受け入れつつも、自分磨き怠らない。
知識や 話題が 豊富で、新しいことにも 挑戦する 柔軟な 考え方を 持っている。
80歳を 超えた 今でも、常に 理想の姿を 考え、それに 近づく努力を 惜しまない。
いくつになっても、“錆びない男”というのは、こういう人のことを いうのだろう。
そんな“男の生き方”を 見て、自分も そうでありたいと 感じる 2日間であった。


私が81歳になったとき、果たして 今の 小嶋氏の ように なれるだろうか。
雪山で スノーモービルを駆り、誰よりも上手くパワーボートを 操る。
もちろん、バイクに 乗らせても、クルマに 乗らせても 上手い。
エネルギッシュで、好奇心旺盛。
新しいことにも、迷わず チャレンジする。
情に篤く、人のために働くことを 当たり前と思う。
年齢に関係なく、誰だって こんな“人”に なりたい。




関連記事
国産初のF1「KE007」が富士スピードウェイを走った日 コジマエンジニアリング・小嶋松久氏が語る Vol.1
【水上バイクの“歴史”】世界最初の“水上バイク”は「シードゥ」・その後に「カワサキ」より、世界初の“ジェットスキー”が発売! 昔はイメージが良くて、マリンスポーツの代表的な存在だったのに…
“ 良い ”「 水上バイク ショップ 」 の 選び方 ? 店の大きさや、値段の 安さは 関係ない! “ 激 安 店 ”に ご用心
【 水上バイク・最新 カタログ 】2026年 BRP SEA-DOO(シードゥ)ニューモデル 国内 全モデル ラインナップ
【 水上バイク・最新 カタログ 】2026年 ヤマハ Wave Runner(ウェーブブランナー)ニューモデル 国内 全モデル ラインナップ
「水上バイク」を運ぶモノ。「トレーラー」「ジェットランチャー」「ジェットバンク」この“3つ”の道具を知っていますか? “正しい使い方”を知れば、さらに便利!