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人生の達人・ジェットスキーとともに40余年 岩森一也氏インタビュー ジェットスキー(水上バイク)

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ジェット乗りが最終的に行きつく遊び方

今回紹介するのは、日本に「ジェットスキー(以下、ジェット)」という乗り物が入ってきてすぐの頃から現在まで、約40年間に渡って乗り続けている岩森一也氏の話です。

岩森氏は1984年に設立されたレース団体、日本ジェットスキー協会(JJSBA)設立当初から、レーサーとして参戦しているベテランライダー。1992年に設立されたレース団体、日本ジェットスポーツ連盟(JJSF)では、理事とレースディレクターを兼任しています。

今回は、業界人としてではなく、長年、ジェットを愛し続けている1人のジェットスキーヤーとしての岩森氏に話をお伺いしました。彼は純粋にジェットを愛しており、普段の休日でも、昔と変わらずジェットに乗っています。そして、その姿をゲレンデで良く目にしています。

そこにあるのは、「ただジェットに乗ることが大好き」な、大人のジェットスキーヤーの姿です。

「これから海に行ってきます」と笑顔の岩森一也氏。

ジェットスキーの大先輩・岩森一也氏インタビュー

WJS 失礼ですが、岩森さんは、今、おいくつですか?
岩森 1959年5月生まれなので、61歳です。

WJS 今でも、休日になるとスタンドアップに乗っている、とてもアグレッシブな61歳ですね。最初にジェットを始めたのはいつですか?
岩森 20歳ごろ。1979年か1980年くらいです。

WJS 初めて乗った機種はJS 440ですか?
岩森 はい。JS 440しかなかった時代ですね。確か、ジェットがアメリカで発売されて2~3年経ったころです。(※編集部注:アメリカでジェットスキーJS 440が発売されたのは1977年)

WJS まだカワサキではジェットスキーの販売をしていないころですよね? どうやって買ったのですか?
岩森 並行輸入の車屋さんから買いました。当時はそれしか方法がなかった。輸入車の中にジェットを突っ込んで、アメリカからやってきたんです。僕が買った1年後くらいに、正式に西武がジェットスキーの輸入販売を手掛けるようになりました。(編集部注:最初、西武が総輸入元で、バブル期はデパートでジェットスキーが売られていた)

WJS 並行輸入で購入して、ジェットが壊れたらどうしていたのですか?
岩森 自分で直していました。もともと、バイクのレースとかやっていましたから。

WJS ジェットスキーの知識がなくても直せたのですか?
岩森 スノーモービルのエンジンみたいなモノでしたから。当時のバイクのエンジンからしたら、少し遅れていたエンジンだったので大丈夫でした。

マシンの手入れもお手のもの。

日本でジェットのレースが始まったときから出場していました

WJS そのころ、まわりでジェットを持っていた人はいたのですか?
岩森 そのころから江の島に住んでいて、東京のお金持ちや新しいモノが好きな人がまわりに結構いました。全部で30台くらいはいたと思います。

WJS 当時はJS 440の値段も高かったですよね?
岩森 僕は130万円くらいで買ったと思います。

WJS 40年前の130万円ですよね。今の300万円くらいの価値があったのではないですか?
岩森 そうでしょうね。当時、20代のサラリーマンの年収が100万円くらいだったもの。

WJS 年収より高い乗り物だったのですね。そのころ、もうレースはあったのですか?
岩森 ないです。自分がジェットに乗り始めて4~5年してから、JJSBA(カワサキ主催のレース団体。1984年発足)のレースが始まりました。エンジンが付いた乗り物は何でも好きでしたから、バイクやってクルマもやって、ジェットを見てこれいいなっていう感じで始めました。

WJS ジェットを始めた20歳ころは、何をされていたのですか?
岩森 高校を出て、いすゞ自動車に入社しました。富士スピードウェイが近いのでサーキットを走ったり、ジムカーナやったり、ラリーやったりと、モータースポーツを熱くやっていました。

WJS ずっと、いすゞ自動車で働いていたのですか?
岩森 10年ぐらいで辞めました。あのころ、ちょうどバブルが来たんですよ。不動産屋のスポンサーもいたので、江の島でレース専門のジェットショップを始めました。で、バブルとともにショップも潰れて……。それからは湘南マリンクラフト連盟という団体で、江の島でジェットのレースを行っていました。当時、会員が400~500人くらいいて、毎回エントリーも200台くらい集まって、忙しかったですね。


WJS それは、ビジネスとして採算が取れたのですか?
岩森 台数的にはクリアですが、エントリー費が7,000~8,000円ぐらいでやっていましたから、レースの運営だけでは食べていけない。だから、個人的な繋がりでレース艇を造ったり、チューニングを任されたりしながら、やりくりしていました。当時、レースチームを組んで、プロライダーなんかも抱えながら10年ほどやっていました。

WJS 私が岩森さんと初めて出会ったときには、もうJJSFのレースディレクターをされていましたよね?
岩森 1992年にJJSFを立ち上げるとき、第1戦からやってくれって言われて始めました。それまでは、JJSBAのレースに参戦しながら、オフィシャルとか裏方を手伝っていましたから。

WJS 仕事としてもジェットに関わりながら、ご自分もレーサーとして参戦していたのですね?
岩森 はい。JJSFでレースディレクターをしながらでも、JJSBAのレースにはずっと出ていましたし、耐久レースなんかも楽しんで出ていました。

WJS 最初のころは、レスキュー艇はどうしていたのですか?
岩森 440しかないころは、レースのレスキューも440。レスキューするときは2台必要なの。1台はマシンを、1台は人を。そんな感じでした。各チームから1~2人ずつ出てくれて、裏方やマーシャル、ジャッジやレスキューもしていた。みんなで頑張ろうっていうのが強かった。皆、手弁当だから、エントリー費が安くてもやれてたんだと思う。

WJS だから、あのころは、どんどんレースが発展していったんですね。
岩森 当時、ライダーを引退したら、「自分が楽しませてもらったから」って、裏方で手伝うという文化があった。20年くらい前から、人数が増えすぎてワケが分からなくなっちゃった。モータースポーツ出身者って、引退したら手伝うというのが当たり前のようにあるけど、何の経験もなしで入ってきた人は引退したら消えてしまうんだよね。

「もっと上手くなりたい」と語る岩森氏(写真右)。

飽きることはありません。上手くなりたいし、もっと上達すると思っています

WJS 今、ジェットは何台お持ちですか?
岩森 旧ペケ(650X-2)は、全部友達に売っちゃってないけど、新型X-2が3台とJS 440とJS 440のスーパーストック。それから、800SX-Rが2台かな。

WJS X-2が3台って、なぜ同じ機種が3台もあるのですか?
岩森 全部、仕様が違います。まるっきりの純正ノーマルエンジン搭載艇と、リミテッドエンジン搭載艇、1,100㏄3気筒エンジン搭載艇。それぞれ用途が違いますから。海で波を飛びに行くのは純正じゃないと嫌だし、ブイをまわるなら速いほうがいい。でも、海から帰ってきてブイが張ってあればノーマルエンジンで必死で走ってますけど(笑)。

WJS 何でも楽しいんですね?
岩森 何でも楽しい。本当は、ストックでも何でもブイをまわるのは大好き。だって40年もブイをまわっているわけだから、もう日課になってる。

WJS 40年ジェットに乗り続けていて飽きないのはすごいと思います。
岩森 だって上手くなりたいもん。

WJS もう十分上手いと思うのですが、まだ足りないのですか?
岩森 年を重ねて、体力と気力は段々落ちてくるけど、マシンは進化している。いろいろ考えると、まだ上達できるはずなんですよ。

WJS だから、岩森さんがジェットに乗っている姿は、あんなに楽しそうなのですね。
岩森 アクセルのオンオフにしても、ジェットは奥が深いですからね。考えて乗るのは楽しいです。

WJS 岩森さんの走りを見ていると、アクセルを開けるときと休むときのメリハリがはっきりしていますよね。
岩森 それは違うの。もっと乗りたくても、体力がほら……。40代、50代、60代と年齢を重ねていくと、50代のころは10周行けたけど、60代になったら8周で息が切れた、みたいな。全開で走れる周回数が減ってくるのはしょうがないんですけどね。実は、冬もスノーボードのインストラクターみたいなことをやっているんですよ。
WJS 岩森さんはスーパー61歳です。

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