カテゴリ
タグ
  1. TOP
  2. INTERVIEW
  3. 今から30年近く前、ジェットレース界に一大勢力を築いた「ASM」というチーム 松井義和氏インタビュー 1/2 ジェットスキー(水上バイク)

今から30年近く前、ジェットレース界に一大勢力を築いた「ASM」というチーム 松井義和氏インタビュー 1/2 ジェットスキー(水上バイク)

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ジェットスキーのレースが華やかだった1980年代後半~90年代のことを覚えていますか?

最盛期にはチーム員40名以上を抱えていた伝説のチーム「ASM」

ベテランジェット乗りの皆さんのなかには、1980年代後半~90年代に一大勢力を誇った、「ASM」というレーシングチームを覚えている方もいるだろう。チューナーは松井義和氏。現在も、神奈川県川崎市で「オートサービスマツイ」というクルマのチューニングショップを経営している。

まだジェットスキーのレースが華やかなりし頃、「ASM」はライダーの在籍人数が日本一多い名門チームであった。そんな大きなチームのチューナーなら、さぞかしビジネス的にも左うちわであったと思いがちだが、松井氏は「ジェットは趣味」と言い切り、チーム員からも大した金額を取らなかったそうだ。現在でも、松井氏を「エンジンの神様」と言い、慕う人も多い。

今回、ジェットスポーツ業界の創成期に活躍していた伝説のチューナー・松井氏と、ASMのチームリーダーだった石田仁彦氏に話を聞く機会を得た。

伝説のチューナー・松井義和氏と、ASMのチームリーダーだった石田仁彦氏(写真右下の右側)。

ジェットスキーの創成期からレースマシンを手掛けていたチューナー

1980年代前半、「JS 440のクランク部品って出せますか?」ってメーカーに聞いたら「出せる」と言われたので、その日に新幹線に乗って大阪まで取りに行きました

WJS 「ASM」は、1988年ごろにチームリーダーの石田さんの依頼で始められたチームと聞きました。松井さんご自身は、ジェットスキー(以下、ジェット)のチューニングはいつから始めたのですか?
松井 クルマのお客さんが、「アメリカからジェットを輸入したけど、誰も修理できない。松井さんはクルマなら何でも直せるんだから、これもお願い」って、JS440を持って来たのが始まりです。

WJS それはいつですか?
松井 1980年代前半か、中ごろ。まだ、日本でジェットがどこにも売っていなかった時代ですね。

WJS いきなり持ち込まれたJS440の修理は、すぐにできたのですか?
松井 クランクが錆だらけでどうにもならなかった。バイクのエンジンをバラして使っても全く合わない。それで川崎重工に電話して、「クランク部品って出せますか?」って聞いたら、出せるって言われたので、その日に新幹線に乗って大阪まで取りに行きました。そのとき、「2年後くらいにジェットのレースが始まるから、ポートを削ってみて」って。図面があるから、その通りに削って、と依頼されたんです。優しくしてもらったから、そのお返しがしたかったので、図面通りにポートを削って持って行ったら、すごく喜んでもらえました。そのあとで、「ウチで、オリジナルで削ったポートはもっと良いよ。使ってみて」って送ったら、非常に驚かれた。実は、JJSBA第1回大会で優勝したエンジンは、みんなウチのエンジンだよ。

WJS バイクのエンジンとは、精度が違うのですか?
松井 違います。とにかく部品の個体差が大きかった。エンジンの鋳型のバリ取りなんかは、パートのおばさんがやってたって聞いて、納得しました。

WJS 松井さんから見たら、ジェットのエンジンは、川崎重工業の設計図通りではなかったということですか?
松井 大きな意味で検査は通っているのだから、普通に使うには問題ありません。でも、レースで性能を出すには、個体差がありすぎた。だから逆に、やりがいもあったし、イジるのが楽しかったですね。

1989年当時のオートサービスマツイ。事務所の屋根の上にはジェットスキーが並んでいた。

何百万円もかかった僕のコンプリート艇は、「改造費5万円」の松井さんのマシンに負けました

WJS 石田さんは、いつ松井さんと知り合ったのですか?
石田 1987年くらいに、僕はPJSのコンプリートマシンに乗っていました。そのとき先輩から、直線勝負を挑まれたんです。僕のマシンは、アメ車のようにギラギラでピカピカ。PJSコンプリートで何百万もかかっている。絶対勝てると思っていたら、相手が少し前に出て、そのままずっと同じ距離のまま差が詰まらずに負けました。悔しいじゃないですか。先輩のエンジンルームを見せてもらったら、まるっきりノーマルなんです。納得できないので、「どんな改造をしているの?」と聞いたら、「松井さんという人に、速くなる改良をしてもらった」といい、「費用は5万円」と言われたんです。そのとき、初めて「松井さん」という名前を聞きました。

WJS 松井さんは、そのときどんな改造をされたのですか?
松井 ヘッド加工とか、当時は社外品のインペラーすらなかった時代だから、細かな部分の改良です。エンジンは皆、一緒。パワーを上げるのは簡単なんですよ。
石田 当時は、とにかくよくマシンが壊れたんです。壊れるたびに20万円、30万円って修理代がかかる。藁をもすがる気持ちで、松井さんにエンジンのオーバーホールをお願いしたのが始まりです。それから、安く、速くしてもらう関係が続きました。そのころ、松井さん自身も自分でJS550を買って、いろいろとチューニングをされていましたが、「乗るのがあまり得意ではない」と、よく僕がテストライダーとして乗っていました。

WJS そこから「ASM」というチームができたのですか?
石田 別のチームにいた女の子のレーサーが、松井さんからジェットを買ったんです。そうしたら、そのチームの人が「何で松井さんのところでジェットを買ったのに、このチームにいるの?」みたいなイジメを受けて、僕に泣きついてきたんです。それを松井さんに話したら、「じゃあ、チームを作ればいいじゃん」って。その一言で、「ASM」というチームができました。

WJS 最初は、チーム員2人からスタートしたのですね?
石田 はい。翌年、妹の育美や、今でも現役レーサーの芳賀 毅さんが入ってくれました。

WJS 一番多いときに、チームメンバーが40人くらいいて、JJSBAでも最大チームだったと聞きました。レース会場でのセッティングが大変だったのではないですか?
石田 レース前になると、外したプラグを両手に持って、みんなが松井さんの前にズラリと並んで、プラグの焼け具合を見せるんです。それを松井さんが見て、「キャブを5分絞れ」とかって的確に言ってくれる。言われた通りすると速くなるから、「次は私」「次は俺」と、次々とやってきて、なかなかそれが終わらない(笑)。

当時のレース風景。

「壊れないエンジン」そこにプライドがあった

WJS 先ほど石田さんが仰っていたように、松井さんのエンジンは速くて、壊れなかったのですね?
松井 1990年代、松口久美子プロ(伝説のウィメンクラス全日本チャンピオン、Bengal Bay Club専属ライダー)が、「アメリカを1年転戦するからエンジン作って」って言われて2基渡したことがあります。そしたら、「2基だけ?」って。でも、それで大丈夫でした。確か、総合2位になったんだよね。
石田 JS440のスーパーストックは壊れる。だけど、松井さんが作るエンジンは壊れないんです。
松井 松口選手は国内でも7年間ぐらいチャンピオンを続けていたと思うけど、毎年、関西からウチにエンジンを引き取りに来ました。口癖のように、「次のエンジンはどれ?」って言いながら、1年間、壊さず使ってくれましたよ。

WJS 他のチューナーが作るエンジンと、松井さんのエンジンは何が違うのですか?
松井 トータルバランスです。ピストンが消耗して減るというのは当然あるんだけれど、クランクとか、コンプレッションが高くなればコンロッドの部分も弱くなる。でも、相対的にバランスがとれているエンジンは、壊れる要素が少ないんです。

WJS その部分に非常に自信があったのですね。最初にエンジンを全て分解して、キチンとした精度で組み直すというような地味な努力をするわけですね?
松井 そうです。ボウリングするときクリアランスが100分のいくつという精度でやるのですが、それだとパワー出るんだけれど焼き付く。なぜかというと、急に冷えたりすると収縮しちゃってロックする。何度も壊してっていうことをずっと行っているうちに、データが集まって正しい数値を知ることができる。夏場と冬場でも違うからね。エンジンは、熱いほうがパワーが出る。冷やし過ぎはパワーが出ないんです。

WJS そういうデータをたくさん集めることで、壊さなくて速いエンジンを作ることに繋がるのですね?
松井 そうです。

当時のエンジン例。

続きはこちら

関連記事
なぜレース艇は大きい方がいいのか? コンストラクター 今崎真幸氏に聞いた
未知との遭遇 初めての体験 レーシングマシンと純正ノーマル 乗り比べ
未知との遭遇 Ver.2
壊れてから修理に出すと高い。壊れる前にメンテナンスをしておこう
「シードゥ艇 の弱点」をご存知ですか?

ジェットスキー中古艇情報

月間アクセスランキング