「金森 稔」というライダーをご存じだろうか。
日本人として、初めてジェットスキーの世界タイトルを獲得した日本人である。現在は米国に居を構えている。
最近では、日本人がアメリカでレースに出ることが珍しくなくなったが、それも全て、最初に道を切り開いたライダーがいたからだ。
その昔、日本人で初めて全米ツアーに参戦したのは、飛野照正氏であった。1987年に飛野氏がスポットで参戦。1991年、ツアーにフル参戦したのだ。彼が明けた米国へののぞき窓からは、それまで未知の世界だった「本場のジェットスキー」の魅力的な景色があふれ出していた。
―【道を創った男 今から約33年前の1987年、日本人で初めてアメリカツアーに参戦したライダーがいた・飛野照正氏】―
翌1992年、帰国した飛野氏と入れ替わるようにアメリカに挑戦したのが、当時、3年連続でスキークラスの全日本チャンピオンを獲得し、国内では敵なしの金森氏であった。
その当時は、「アメリカ以外の国の選手があまりにも低いので、危ないから、世界中から集まってきた未熟なライダーとは一緒に走りたくない」と、アメリカ人ライダーが言っても「確かにそうだ」と、納得するような時代だった。
そのころのトップ5の壁は厚かった。ジェフ・ジェイコブス、ビクター・シェルドン、ニコラス・リウス、クリス・マックルゲージ、クリス・フィシェッティをはじめ、錚々たるメンバーがシノギを削っていた。そのなかに混じっての戦いである。
日本では有名でも、アメリカでは全くの無名だった金森氏は、トッププロが集合するスタンドアップクラスで、初年度8位、2年目の1993年には6位という成績を残した。
参戦2年目のツアー中、金森氏はあるレースでトップフィニッシュを決め、念願の1勝を挙げた。
日本人が絶対に勝てるはずがないと思われていたスタンドアップクラスでの勝利は、彼だけでなく、全ての日本人にとっても歴史的な出来事だった。
翌1994年に、カワサキのファクトリーライダーとして、ランナバウトクラスに転向した金森氏は、その年のワールドファイナルで「プロランナバウト785」クラスに出場。
この大会での彼は、まさに絶好調で、プロランナバウトスラローム予選で世界新記録(19秒23)を叩き出した。その勢いのまま、決勝でもトップタイムを出し、スラロームで優勝を飾った。
そして、大本命の「プロランナバウト785」クラスでは、MOTO1で2位、MOTO2で1位と、ほぼ完璧な総合成績を収めて優勝。ついに、日本人初の世界チャンピオンが誕生したのだ。
さらにその翌年、MOTO1で1位、MOTO2で1位、スラロームで1位と、パーフェクトな勝利で、2年連続でタイトルを獲得。世界のレースシーンで、その名を知らぬ者がいないほどのトップレーサーとなったのである。
1999年を最後に、金森氏は競技者としては第一線を退いたが、その後も、マシン開発などに携わっている。
世界にチャレンジしたプロスポーツ選手として考えるなら、彼の偉業は、この業界では国民栄誉賞くらい貰っても当然の活躍をした選手だと思うのだ。
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