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道を創った男 今から約33年前の1987年、日本人で初めてアメリカツアーに参戦したライダーがいた・飛野照正氏 (水上バイク)

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1990年、圧倒的にアメリカと差があった時代に、全米ツアーを転戦したライダー

飛野照正氏の軌跡

ジェットスポーツが最も華やかだった1990年代前半、当時、全米ツアーはアメリカ人だけが戦う場所とされていた。アメリカ人以外の外国人ライダーは、全て「格下」扱いであった。
アメリカ人でなければ勝てないと言われていた全米ツアーに、日本で初めて果敢に挑んだ日本人ライダーがいた。名前を「飛野照正」という。彼こそが、1987年、日本人で初めてアメリカツアーに参戦したライダーだったのだ。
全日本チャンピオン経験者でもあり、当時の日本人ライダーは、皆、彼のライディングに憧れた。

この写真は、1990年9月、アメリカで飛野照正氏にインタビューしたときのものだ。(出典:JET DREAM、1990年Vol.25、撮影/Hiroshi Nirei)

日本のジェットスポーツの歴史を刻むマシン

このJS 550は、飛野氏がアメリカのナショナルツアーを戦った当時のものである。マシンのグラフィックは、アメリカンモータースポーツデザインの巨匠Troy Lee(トロイ・リー)が手掛けている。

1992年に飛野氏が帰国した際、マシンは当時のメインスポンサーに返却された。そのスポンサーがエンジンを降ろしてしまったので、現在、JS 550にはエンジンが搭載されていない。船体だけが、大切に室内で保管していたのだ。そのおかげで、28年経った現在でも、そのころのままのステッカーが貼られ、美しい姿で存在している。

飛野氏は、7年前の2012年に逝去されたが、もしご存命なら、このマシンが当時のままの姿であることに一番驚くだろう。

1991年、飛野照正氏がアメリカツアーを転戦したマシン。当時のステッカーがそのまま残っている。持ち主が、とてもキレイな状態で保管しているのだ。

マシンのグラフィックは、アメリカンモータースポーツデザインの巨匠「Troy Lee(トロイ・リー)」によるものだ。

1992年に、全米ツアーを終えて飛野氏は日本に帰国した。このマシンも、当時のメインスポンサーに返却された。そのスポンサーがエンジンだけを降ろし、現在の持ち主が、28年間、船体を大事に保管していたのである。

船体に残る歴戦の傷あと。それすらも格好良く見える。

日本人がアメリカで受け入れられるきっかけを作った人物

今でこそ、日本人ライダーがワールドファイナルなど、アメリカのレースに出るのは珍しくないし、活躍も目立つ。しかし、飛野氏が走っていた当時は、「アメリカの壁」が途轍もなく高かった。「外国人選手はレベルが低いので、一緒に走るのは嫌だ」と本気で言われていたほどだ。事実、それほどレベルに差があった。

だから、日本人である飛野氏がアメリカのナショナルツアーにフル参戦したことは、野球でいえば、大リーグに行った野茂英雄選手と同じだ。彼がいたから、松井秀樹選手やイチロー選手をはじめ、数多くの日本人選手へと道が開かれたのである。

改めて、飛野氏の偉業に驚くばかりだ。

飛野照正氏がアメリカツアーを終えた1991年に撮られたものだ。写真向かって右側が飛野氏、左側が金森 稔氏である。
経年劣化で剥がれたものもあるが、ステッカーの1枚まで、当時のままで残っていることが分かるだろう。(出典:JET DREAM、1990年Vol.25、撮影/Hiroshi Nirei)

撮影協力/加藤秀樹さん

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