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世界チャンピオン艇を取り扱う「コマンダーインダストリージャパン」&マシンペイントの国内第一人者「ヒロキックスデザイン」代表・佐々木宏樹氏インタビュー (3/3)ジェットスキー(水上バイク)

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夢は大きく。悩みぬいた屋号は、「時計はロレックス(ROLEX)」「塗装はヒロキックス」

WJS 「ヒロキックスデザイン」という名前は、いつから使っているのですか?
佐々木 そのころに、暴走族の子のヘルメットを塗ってあげたら、「名前、看板入れてくれ」って言われたんです。せっかく、皆が順番待ちしている人気のペインターに塗ってもらったんだから、「オレ、あそこで塗ってもらったんだ」って言いたい。名前を入れてくれって。

WJS それで「ヒロキックスデザイン」という名前ができたのですね?
佐々木 はい。屋号は悩みました。どうせだったら、「誰もが知っている名前になりてえし」みたいな感じで。それで、このシンナーでシャブシャブになった脳ミソで考えたんですよ。時計だったらロレックス(ROLEX)が有名だなぁ、と。
ロレックスが時計だって、大抵の人なら知ってるじゃないですか。「時計がロレックスなら、塗装は……」みたいな感じで考えてたら、「塗装はヒロキックス(HIROKIX)」って。「ヒロキックスといえば塗装だよな」ってなればいいなって思って。

WJS 最高ですね。以前から、佐々木さんはタダ者ではないと思っていました。今の話を聞いて、あなたのことを嫌いな人はいないと思います。今の時代にも合っていると思います。
佐々木 時代に合ってる? 本当ですか?(笑)

WJS 26歳のときに、友達のバイクを塗ったことがきっかけで塗装の世界に戻ってきたわけですね?
佐々木 はい。それで、27歳ごろに僕の親友が、「こんなアパートで塗ってちゃダメだ。俺が、いい店、見つけてきたから、今すぐ見に行こうぜ」って、川崎のバイクショップの社長を紹介された。で、その店の半分の10坪を使わせてもらえることになって、「えー、俺、本職になっちゃう」みたいな感じで始まりました。そのときはまだ遊び半分で、パチンコやって、塗装やって、楽しきゃいいや、みたいな感じだったんです。

WJS 本格的に、ペイントを商売にしようとしたのはいつからですか?
佐々木 そのころ、あるバイク雑誌の編集長が目をかけてくれるようになって、毎月、俺が塗ったバイクを記事で取り上げてくれるようになった。そしたらどんどん有名になって、忙しくなって、みたいな感じでした。

バイク雑誌に掲載されたビッグスクーター。

上写真のビッグスクーターのように塗ってほしいとリクエストして完成した「シードゥSPARK」。

水に浮かべると、イエローが引き立つ。

何度か中国に行った。このまま海外進出か!? 

WJS それから、ペインターとしての人生が進みだしたんですね。
佐々木 はい。あるとき、自分のバイクを持ってイベントに行ったんです。そしたら、茅ケ崎の有名なバイクショップの社長さんと話をする機会があって、「今、どんな環境で仕事してるの?」とか、「これ、全部自分で塗ったの?」とか、いろいろ聞かれました。
「将来、どうなりたいの?」って聞かれて、「塗装を続けていきたいです」って言ったら、「それなら、ウチの隣のスペースが空いているから来ない?」って言われたんです。すごく有名なバイクショップなので、その場で「お願いします」って、返事しました。

WJS それが何歳くらいですか?
佐々木 今から12年くらい前、30歳ごろの話です。それが、自分のお店って看板上げた最初ですね。

WJS いつから、今の平塚市にショップを構えたのですか?
佐々木 そのころ、また人生の分岐点になるような出会いがありました。お客さんで、貿易の仕事をしている人がいたんです。中国で、日本のバイク、例えば隼なんかが、300万円、400万円でバンバン売れていました。日本の技術も、引く手あまたでしたよ。
僕も研修で何度か中国に行ったけれど、そのときに「一緒に仕事をしよう」って誘われたんです。でも、茅ケ崎の社長がウチのショップの広告を雑誌に出してくれていて仕事も多かった。そっちをこなすのに時間をとられ、海外どころの話ではなくなっていました。

WJS 貿易会社の社長にビジネスを誘われて、自分の進むべき道を考えたんですね。
佐々木 はい。結局、海外の仕事はしなかったんですが、その茅ケ崎のバイクショップの社長とも離れようと思ったんです。

WJS 何かあったのですか?
佐々木 やればやるほど、赤字になるんです。当初、家賃10万円+売り上げの30%っていう契約でした。でも、高額の仕事が増えると時間がかかるので、赤字になるんです。最初は、お金に執着もないし、好きな塗装がやれるし、僕のペイントで喜んでくれる人が増えたから、別にいいやって思ってました。でも、家賃を払って、業者に塗料代を支払うと、手元に何も残らない。従業員の給料もキツくなっていった。広告代を出してもらっていたので感謝はしていたのですが、続けていけなかった。今から思えば、世の中を知らないバカでした。

WJS 普通は、家賃か売上の30%か、支払うならどちらかですよね。
佐々木 そうなんですよ。家賃を払うなら売り上げは取られないし。売り上げの30%を支払うなら家賃は払わない。今の状態って二重に取られているんじゃない? って気が付いたんです。

ステッカーもカラフルだ。

船頭多くして船山に上る? 人生は勉強だ!

WJS それでどうしたのですか?
佐々木 結局、茅ケ崎には2年いたんですが、仲が良かった別のバイクの整備士さんと、僕と、もう1人の3人で、「このあたりで1番デカいバイクショップみたいなものを造っちまおうぜ」って、新しく店を立ち上げました。

WJS 3人がそれぞれ独立したショップにしたのですか?
佐々木 はい。塗装の仕事は全部僕のモノ。改造は誰、販売は誰って、独立採算制ですよね。それぞれが看板を上げて、この中でお客さんを回しあえば良いじゃんってやってました。

WJS それは上手くいったのですか?
佐々木 最初は上手くいってました。でも、経営者が3人いると、だんだんと上手くいかなくなるものです。同じ場所だけど仕事は各自分かれている。誰か1人が忙しければ、そのとき暇なヤツから、「アイツのとこだけ」って、ひがみや、やっかみも出てきます。3年契約で場所を借りていたので、3年経ったときに更新せずそのまま解消です。それで、今の平塚で店を立ち上げて、現在に至ります。



土曜の深夜は、横浜の大黒ふ頭にスゴいクルマが集まる

WJS デザインなどを含めて、昔と変わったと思いますか?
佐々木 今、昔の作品見て、「これで、良くお金を貰えたな」って思うものもありますね。

WJS それだけ、年々、進化しているのですね。
佐々木 数をこなすと変わってくると思います。デザインに関しては、自分が見ているモノが変わりました。良いモノをたくさん見ることが大事です。大きなイベントも行きますし、例えば土曜の夜、大黒ふ頭にスゴいクルマが集まるって聞いたら、時間も関係なしに行って、写真をバンバン撮ります。

WJS 3年ほど前、佐々木さんに「尊敬しているペインターは誰ですか?」と質問したときミズタ・シンジ氏と仰っていました。普通、そういう方がいたら、師事しようとは思わなかったのですか? 佐々木さんは、水田氏の作風を独学で身に付けていますが、お手本があれば再現できる自信があるということですか?
佐々木 そんなことないです。ご本人のところに行く勇気がないだけです。

写真手前:グリーンのコマンダーGP1は、ほぼノーマルで、最高速は110km/h。

僕が「二足の草鞋を履く」理由は、「日本でアイツらを1番好きなのは、僕なんです」そういうことです

WJS 最後の質問といいますか、これが今回の本題なのですが、どうして「コマンダー」の日本総代理店を始めたのですか?
佐々木 コマンダーGP1って、すごく良いマシンだと思いませんか? 素人にも乗りやすい。2年前、僕が初めてGP1買ったとき、皆、「こんなんダメだ」って反対したんです。でも、今や世界チャンピオン艇ですよ。オーナーのダスティン・モツリス氏や、彼の実弟・タイロン選手、設立者のスティーヴ・ウェブスター氏もすごくいい人です。何より、GP1の素晴らしさを、皆に知ってもらいたいんです。

WJS 良いマシンなのは分かりますが、現在のスタンドアップの市場シェアやレース人口を考えると、商売として採算が取りにくいのではないですか?
佐々木 そりゃそうですよ。

WJS それなのに、どうして始めたのですか?
佐々木 すごく感情的な答えで申し訳ないんですが、日本国内で、俺以外の誰かが「KOMMANDER Industry Japanです」とか、「代理店を始めました」なんて言ったら、絶対に許せないです。日本で、アイツらを1番好きなのは、僕なんです。そういうことです。



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