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「鈴木 亜久里 物語」
1980年代後半から 90年代に 青春を送ってきた 世代にとって、 「鈴木 亜久里」という名前は 特別な意味を持っている。
中嶋 悟に次ぐ 日本人2人目の F1 のフルタイムドライバーで、 1990年の日本GPでは 3位となり、初の表彰台を獲得した。
これは2004年に 佐藤 琢磨がアメリカGPで 3位入賞するまで、 長い間、アジア人ドライバーとして 唯一の F1 における表彰台だった。
1987年~1994年にかけて発生した「 F1ブーム」は、社会現象にもなった。
今回、縁あって鈴木亜久里氏にインタビューをさせていただくことになった。
F1 ブームの 立役者のひとりである 鈴木氏が、 どのような 競技人生を送ってきたのか。 幼少期から 現在までを 余すことなく 語っていただいた。
我々一般人が 想像することしかできない、 世界のトップカテゴリーを 走り続けてきた人の “本当の話”は、どこから読んでも 面白い。
この取材をする前は、編集部に 安易な思い込み があった。
彼の輝かしい 経歴の数々を前に、 「ああ、この人の人生は、誰かが敷いた“栄光”というレールの上を 順風満帆に走り続けてきた」のだろう ということだ。
「日本人で 初めて 表彰台に上がった F1 ドライバー」という肩書、 テレビCMにも数多く起用され、華やかなスポットライトが似合う人である。
俺の人生は“シンクロナイズドスイミング”
しかし、実際に 鈴木氏と会って 話を聞いて 理解したことは、 「自分の人生は、全て 自分自身で 決めてきた」ということである。
栄光だけでなく 不遇だった時代も、全て 彼自身が作り上げてきた。 自分の人生を 例えるなら、「シンクロナイズドスイミング」だと言う。
外から見える部分は、あくまで優雅。 世間が思う「鈴木 亜久里」そのままだ。 しかし、見えない水の下では、もがき 苦しみ 続けている。
一時代を築いた「鈴木 亜久里」という不世出の レーサーの 本当の物語は、ここでしか 読めない。
その全容は、しばしお待ちを!
ワールドジェットスポーツマガジン「 2023年 1月号 」
今月号は、今年の 国内ジェットスポーツ界最大の「スクープ」、アメリカのスーパースター「ダスティン・ファージング」選手が、ジェットレース最大級のイベントである「WGP#1 WORLD CUP 2022」で乗るマシンの初披露です。
今回、ファージング選手が世界戦用にチョイスしたのは、日本のファクトリー「マリンメカニック」の“GA-CO3”。
これは、砂盃選手の走りを見たファージング選手からの依頼だったといいます。
さらにマシンの外見を決めるグラフィックを、「SUCCESS speed&graphics」にオーダーしています。
生粋のアメリカ人であるファージング選手が、「メイドインジャパン」製のマシンを選んだのは、最も「勝算」が高いマシンと判断したからに他なりません。