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  3. 涙のツアーコート ジェットスキーコラム(水上バイク)

私と、私の可哀想なツアーコートを待ち受けていたのは、幸せに満ちたヤツの無邪気な笑顔だった

その日のツーリングの撮影は、日本列島の真ん中あたり。まだまだ寒い季節だった。私はこの日、おニューのライフジャケットを着ていた。なにしろおニューなので、ふと思ったのである。

見せびらかしたい!!
新発売モデルなのだ。デザインも申し分ない。が、今は3月初旬。天気はいいが空気は冷たい。それでも、ライフジャケットをほめてもらいたい私は、ツアーコートを羽織るのをやめた。ウェットスーツでジェットスキーに乗り込み、ツアーコートは取材艇に積んでもらった。
あくまでも“とりあえず”である。寒いと思ったら、すぐに取り戻して着るつもりだったのだ、その時は……。

私にツアーコートを預けられたスタッフも寒かったらしい。取材艇の上で、下半身にコートをかけ、膝掛け毛布のようにして冷えを防いでいた。
そこへ、ヤツの魔手が伸びてきた。
「暖かそうだね~。それ、貸してくれない?」
「それ」とはもちろん、私のツアーコートである。我がスタッフは「いいですよ。どうぞ」と、魔の手にコートを渡すほかに選択肢を持たなかった。

なぜかと言うと、魔手の主は、本誌と長らく取り引きしてくれている広告代理店の社長様だったからである。
「いーえ、これはお渡しできません」などと言って機嫌を損ねて、「もうお宅に広告は出さぬぞよ」なんてニラまれたら一大事なのだ。

ツーリングに同行してくれたその社長殿は、あろうことかドライスーツを着るのに失敗して、下半身はドライスーツ、上半身は私服という、妙な格好だったのだ。そんなんじゃ、絶対に寒い。

魔手というのは、満面の笑顔の裏に邪悪な心を持ち合わせているものだ。が、この社長氏の場合、言動に悪気は全くないというのが、長年のつき合いで分かっている。なので、武士の情けでコートを貸して差し上げたのであるが、ここでひとこと言わせていただきたい。
それ、オレのだってば。断りもなく、勝手に貸し借りしないように。
と、あとから思ったわけだが、時すでに遅し。

そんなやりとりがあったとはつゆ知らず、ツーリングの途中で体が冷えてきた私。ライフジャケットはお披露目して満足したから、そろそろツアーコートを羽織ろうと、取材艇を見て呆然とした……。

私の最新モデルのツアーコートは、広告代理店の社長様がお召しになっておられた。
「返してください」と私は言うべきだったろうか……? 言えるわけがなかった。相手様が大事な取り引き先だったから、ではない。件の社長氏は、ツアーコートの上にライフジャケットを着ていたのだ。しかも、スリーバックルをフルロック。

ああ、哀れな私のツアーコートはギュンギュンに締め付けられ、見るも無惨な有様である。
泣きたい気分。だって、デザインのとてもよろしいツアーコートなのよ。それを完ペキにクチャクチャにできるなんて、どういうセンスしてるんだ? 私のコートは完全にロックされてしまった。と言うか、社長氏はマリーナに帰り着くまで返すつもりなどさらさらないとしか思えない風情で、暖かそうにしているのである。
おのれ~。


泣きっ面に蜂って、こういうことを言うのだと思う

あああああ、寒いいいいい。
と思いながら乗っていると、さらに寒風が背中を通り抜けて行くようで、冷気が体に突き刺さる。

多分、最初からツアーコートがなければ、それなりに腹をくくっていられたのだろう。が、寒さ予防で預けたコート。ボートの上であくびをしながら、ぬくぬくしているヤツの笑顔が頭から離れず、はらわたが煮えくりかえる思いである。

なのに、神様はさらに私に試練をお与えになった。
ポンプにゴミが詰まったのだ。
誰かが3月の海にウェットスーツで飛び込んで、船底の下に潜って手でゴミを取るしかない。
誰かいない? 私がやるしかない……。

こんな冷たい海に潜ってはいけない。いや、ツアーコートがない場合は、である。
ツアーコートというのは本当に優れモノだ。風を通さないので、どんな寒空でも快適に過ごさせてくれる。これさえ着ていれば、水に濡れてもウエアの中に入った水分が体温で温まって、それを外に逃がさない。保温効果が抜群なのだ。頭が冷えたら、フードをかぶればOKである。
夏冬問わず、ツアーコートはランナバウトのツーリングの必需品なのだ。

さて、短時間とはいえ水中散歩をした私は、頭から全部ビショビショである。風が当たるそばから体温が奪われて、脳みその中は「寒い~」と「ツアーコートが欲しい~」でいっぱいだ。

何度か社長氏に鋭い視線を送り、「返せっ、コラッ」とアイコンタクトなんかしてみたが、全然通じない。ヤツがあんなにニコニコしていられるのも、ツアーコートで暖まっているからに違いない。
それにひきかえ、オレは……。涙出そう。と言うか、鼻水出てきた。ツーリングの最初にコートを手放したのが、そもそもの間違いだった。悔やんでも悔やみきれない。今度からはジェットのフロントハッチに入れるぞ、絶対。

怨念のかたまりとなった私がガタガタ震えながら岸にたどり着いたのは、その2時間後のことだった。恨めしや~の目つきで呪縛のツアーコートと社長氏を眺める私に向かって、彼は嬉しそうに言った。
「いや~、こんな快適な取材は初めてですよ~。ツアーコート、暖かいですねえ。あんまり気持ちいいんで、ボートの上で昼寝までしちゃいました。ありがとうございました」
その、あまりに邪気のない笑顔を前に、「どういたしまして」と言う以外、私に何ができただろうか。

くっそぉ、と心の中で毒づくことしか思いつかなかった。
くっそぉぉぉぉぉぉぉ! 覚えてろ。
でも結局、悪気のない人の勝ちなんだよなぁ。ああ寒い。
クチャクチャのツアーコートも泣いてるぜ。早く返せ。


 

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