今でも、モータースポーツ好きの心を捉えて離さない「コジマエンジニアリング」。1976年、日本で初めて国産のF1マシンを造ったコンストラクターとして知られているが、その代表が小嶋松久氏である。
1970年、小嶋氏が26歳の時にコジマエンジニアリングを設立。スズキがフォーミュラを始めたことで、小嶋氏もオートバイから自動車レースに転向した。
その後、すぐに頭角を現し、1974年、1975年の全日本FJ1300選手権を連覇。1975年5月の日本GPではFL500、FJ1300、F2000の3クラスともコジマエンジニアリング関連のマシンが優勝するなど破竹の勢いを見せた。
小嶋氏曰く「そうしたら、もうこれ以上やることがない」と、「F1を造ろう」となったところまでが、前回の話である。
今回は、F1からパワーボートに活動の場を移すまでの話を伺った。
WJS 国内のレースに勝ち続けたことで、やることがなくなってしまったということですか?
小嶋 はい。それで、次に日本にフォーミュラ1が来ることになったから、「じゃあ、フォーミュラ1を造ろうか」って。
WJS 1976年、富士スピードウェイで日本で初めてF1が開催されました。国産マシンが初めて出場したわけです。1戦限りの参戦でしたが、現在でも多くの逸話を残すマシンとして知られています。それがおいくつのときですか?
小嶋 32歳です。富士スピードウェイに合わせて開発した「KE007」でスポット参戦して、翌1977年は「KE009」を開発して参戦。2年間、富士に出場したけど、タイレルとフェラーリの事故があって、ドライバーは助かったけどギャラリーの方やカメラマンが亡くなられてしまった。それで、「日本でF1の開催は無理だな」って中止になってしまい、開発を打ち切りました。
WJS それで自動車レースから撤退されたのですね?
小嶋 はい。時代が大きく変わって、我々も変わらざるを得なくなってしまった。その当時、池沢さとしさんのマンガ(代表作:サーキットの狼)なんかで、スーパーカーがものすごく流行ったんです。それでスーパーカーレースやスーパーカーショーのプロデュースなんかもやってました。
僕はスーパーカーには乗ってないけど、鈴鹿を借りて、ウチのスーパーカーを所有しているヤツを全部走らせたとき、ギャラリーがいっぱい入って、鈴鹿サーキットもビックリしたっていう時代。我々のチームもありましたし、イベントの主催もやっていました。鈴鹿には長くお金も使ったし貢献もしたから、「ちょっと貸してくれよ」ってサーキットも貸してもらってね。
WJS すごい話ですね。
小嶋 それで、スーパーカーレースをやって、テレビもついてくれて、結構、その当時はブームになりましたよ。
WJS 自動車から、いつパワーボートに移られたのですか?
小嶋 淳ちゃん(中地淳一氏・パワーボート協会理事)や、自動車やスーパーカーとかを一緒にいろいろやってた仲間が、前からボートのレースをやっていたんです。それで僕らも、自動車やりながら、ボートのレースにはお手伝いで付いていっていました。
F1がなくなって、今さら自動車の下のクラスに力を入れてやってもしょうがない。もうどこにも行くところがないから楽しみもないし、「それならボートをやろうか」ということで、パワーボートに転向しました。それが1978年ですね。
WJS 中地さんとは、パワーボートで知り合ったのですか?
小嶋 淳ちゃんは、10代のころ、オートバイのレースをやっていたときからの付き合い。数少ない関西の仲間だから。
シーズンオフやマリーナの手伝いにもしょっちゅう来てくれるし、シーズンになったらこっちで遊んでいる。僕は水上バイクは専門じゃないから、淳ちゃんらが整備やアドバイスをしてくれます。そういう面では恵まれています。
WJS パワーボートを始められたきっかけは何ですか?
小嶋 始めは淳ちゃんたちが走っていたボートの整備を手伝いに行っているうちに、徐々に「私もボートを買おうか」っていうことでボートを買って。それでやりだしたっていう感じです。
WJS 1978年ごろ、日本にはパワーボートはあったのですか?
小嶋 もちろんありました。それで、アメリカのロッキー青木氏(アメリカの鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」の創業者)のチームに皆で行って、ロッキーさんが乗っていた大きな38フィートくらいのボートを買って帰って来ました。その当時から、日本も大型艇が増えてきて、僕らは「Vボートでなしに、カタマランが欲しい」って。アメリカでも、その5年くらい前からカタマランが流行り出していました。日本のレースも高速化していって、カタマランが増えてきた。だいたい変わったことを始めるのは、我々が多いんだよね。
WJS バイク、クルマ、スーパーカー、パワーボート。レースは何でも好きなんですね?
小嶋 もちろん好きっていうのもあるけど、僕の場合、「流行の近く」におったんやろね。これがもし全然離れた遠くにいて、人のを見て「明日からこれをやろう」ではなしに、だいたい皆、まわりにやっている人がいた。オートバイを始めたのも、近所のオートバイ屋のおっちゃんがプロのレーサーで、それに連れて行ってもらっているうちに、徐々にレースをやろうかなっていう感じで。そのおっちゃんがケガしてレースに出られないとき、「お前、ちょっと乗るか?」って出たりとか。育った環境が、たまたま運よく、そういうレースの関連にいたっていう感じですね。仲間がいてくれたから、そういう世界にだんだん行けたわけです。
※次回に続く
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