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日本パワーボート協会物語 Ver.1「パワーボート」という競技を知っていますか?「パワーボートの今」を作った「小嶋松久」氏  ジェットスキー(水上バイク)

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「パワーボート(Powerboat)」という競技をご存じですか?

パワーボートとは、モーターボートを使った競技(モータースポーツ)および、それらで使われる船体のことをいいます。競技カテゴリーによっては、最高速度200km/hを超えるものもあり、「海のF1(エフ・ワン)」とも呼ばれているスポーツです。

パワーボートは、アメリカやヨーロッパなどでは、比較的ポピュラーなレースで、日本でも、比較的小さいボートを使うレースは各地で行われています。
オフショア艇もエントリーできるビッグレースは、昨年、小豆島で行われた「日本グランプリパワーボートレース」があります。過去には、瀬戸内ローズカップや熱海オーシャンカップなどが行われていた時期もありました。

2019年小豆島で行われた「日本グランプリパワーボートレース」にて。座る暇もなく、忙しく動いている小嶋松久氏。

パワーボート競技を取り仕切るのは、「日本パワーボート協会」という団体です

日本パワーボート協会(JAPAN POWER BOAT ASSOCIATION、略称:JPBA)は、パワーボートに関するさまざまな業務を取り扱う日本のスポーツ団体。国際モーターボート連盟に加盟しています。
主な事業として、2008年4月1日より、国内で行われるパワーボートレースの公認を行っているほか、水上オートバイのレース「アクアバイク」のレースも行っています。

会長自らが先陣を切って働くパワーボート協会

以前から、クエーキーセンス代表の紅矢俊栄氏から「尊敬に値する人物がいるんです」と聞かされていた。それが、今回紹介する「小嶋松久氏」です。

小嶋氏は、日本パワーボート協会の会長として、大変に尽力されている人物で、私自身もアクアバイクの取材で、何度か併催されているパワーボート大会に行ったことがあります。
小嶋会長はトップであるにも関わらず、常に動き回り、忙しく働いている人でした。会場内を走り回っている姿しか記憶にありません。

クエーキーセンス代表の紅矢俊栄氏

鈴鹿サーキットで行われた「第1回日本グランプリ」にも出場。パワーボートだけでなく、日本レース界の「生きる伝説」

小嶋会長は、戦後間もないモータースポーツの黎明期からレースに参戦していました。1959年、15歳のとき、京都で行われたダートトラックレースに初参戦したのを皮切りに、16歳で、モトクロスレースに参戦。高校時代から2輪ライダーとして名を馳せ、ダートトラックレースやモトクロスで活躍しました。

また小嶋氏は、鈴鹿サーキットで行われたオートバイレース「第1回日本グランプリ」にも出場もしています。ちなみにこの大会には、日本パワーボート協会の理事で、ジェットスキーのレース団体、アクアバイクジャパンの会長である中地淳一氏も出場しています。そのころからの付き合いだという小嶋氏と中地氏は、現在でも信頼しあえる友であり同志なのです。

さらに20歳(1964年)のとき、氏は日本で初めてのモトクロスレース「MFJ 第1回モトクロスグランプリ」に出場し、50ccクラスで優勝。2年後の1966年に行われた「第3回モトクロスグランプリ」では、90ccクラス、250ccクラスでダブル優勝。国内の250ccクラスでは「無敵」と呼ばれていました。

その後、2輪レースを引退し、オーナー兼監督としてカーレースに転向した小嶋氏は、1975年の日本グランプリ(4輪)で、フォーミュラー全クラス優勝という快挙を成し遂げました。

さらに、1976年にはフォーミュラーの最高峰である「F1」に挑戦をします。この年、富士スピードウェイで、日本で初めてのF1レースが開催され、自身のチームでエントリーするなど、日本のモータースポーツの黎明期を支えてきた人物であります。

1978年、日本でF1レースが開催されなくなったので、スーパーカーレース、スーパーカーショーのプロデュースを全国展開します。同時に、現在に繋がる「パワーボート」の世界へ転向しました。その後、国内で初めて4連覇を達成する偉業を成し遂げました。

2007年に現役を引退し、2008年には、日本パワーボート協会(JPBA)を設立し、会長に就任しました。
現在、小嶋会長は75歳。15歳からレースの世界に身を投じ、60年に渡って、モータースポーツの発展に尽力しています。

パワーボートの歴史は古く、小嶋会長が初めて選手として参戦したのが、1978年(34歳)のとき。当時のレースは、かかる費用が青天井で、各チームは億の以上の資金を投入して戦っていたそうです。当時の会長は笹川良一氏、それ以降も、息子の堯(たかし)氏といった競艇関係者が代表を務められていたそうです。競艇関係者以外で、初めて民間の代表となったのが小嶋会長です。

今回、編集部は日本パワーボート協会及び小嶋会長の協力を得て、超ロングインタビューを行いまいた。パワーボートだけではなく、日本のレースシーンの戦後から現在までの歴史が垣間見れる内容となっており、驚くことばかりです。小嶋会長77歳、中地理事80歳。同性として、こんな素敵な年の重ね方をした大人になりたいと思わせられる方たちでした。
レースと魅力的な男たちの物語を、これから連載していきます。お楽しみください。


日本パワーボート協会の理事で、ジェットスキーのレース団体、アクアバイクジャパンの会長である中地淳一氏。

写真右から、紅矢俊栄氏、中地淳一氏、小嶋松久氏。
 
「最新記事」モータースポーツに人生を捧げた男、小嶋松久氏の青春「ワールドジェットスポーツマガジン 2022年1月号」



【次回の記事】日本パワーボート協会物語 Ver.2

 

※「日本パワーボート協会物語」は、現在、下記の第4回まで連載中です
日本パワーボート協会物語 Ver.1「パワーボート」という競技を知っていますか?
日本パワーボート協会物語 Ver.2 日本のパワーボートの中枢・小嶋松久会長に聞く「パワーボートの現在」
日本パワーボート協会物語 Ver.3 日本人で初めてF1マシンを作った男・小嶋松久氏
日本パワーボート協会物語 Ver.4 パワーボートのトレンドを牽引してきた小嶋松久氏

※国産初のF1「KE007」が富士スピードウェイを走った日は、現在、下記の第3回まで連載中です
国産初のF1「KE007」が富士スピードウェイを走った日 コジマエンジニアリング・小嶋松久氏が語る Vol.1
国産初のF1「KE007」が富士スピードウェイを走った日 コジマエンジニアリング・小嶋松久氏が語る Vol.2
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